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『1976年のアントニオ猪木』を紐解く(2)

『1976年のアントニオ猪木』著者・柳澤健さんへのロングインタビュー。第二弾は、猪木の一年が大きな歪みとなったプロレス界に、"リアルファイトという現実"を突きつけられたUFCの到来を紐解く。

執筆者:川頭 広卓

『1976年のアントニオ猪木』著者・柳澤健さん インタビュー

93年、UFCの登場は真剣勝負を謳うプロレス界から、全ての説得力を奪ってしまった (C)KAWAZU
【前回のインタビューはコチラ

――純粋な時代でしたよね。

「ピュアな心が残っていたのは確か。92年の段階でね。でも、恐ろしいことに、翌年(93年)にはUFCがきちゃうのよ。パンクラスの年でもあり、女子プロレスの年でもあるんだけど、とんでもないものが一気にやってきてしまう。

で、UFC2が今度やるっていう時に、ライターの布施鋼治さんが“今度、UFCっていう大会があって、ゴルドーが負けたグレイシーって言うのがいるんですけど、取材に行くので載せてくれませんか?”って言うし、カメラマンの長尾(迪)さんからも、話を聞けば聞くほど面白そうって思ったから、“僕も行きたい”と思った(笑)」

――直感ですね。

「なんか、行かなきゃいけない気がしたのよ。その時、会場にいたのは、(夢枕)獏さんでしょ、平直行さんでしょ。布施さん、パラエストラの番頭若林さん、石井和義正道会館館長、谷川(貞治K-1イベントプロデューサー)さんもいたと思う。よく覚えてないんだけど、大会終了後のパーティーで館長と平さんが格闘技の将来について真剣に話していたのが印象的だった。

UFC2(1994年3月11日)で見た本物のリアルファイトはとにかく衝撃的だった。レフェリーストップなし、金的もオッケーだし、今のルールに守られた総合格闘技と、初期UFCの何でもありとは全然違うものです。あの殺伐とした感じはテレビでは無理。恐ろしいものですよ。

マンモス・ガーデン(コロラド州デンバー)ってところだったんだけど、寒々としたところで、観客もそんなに沢山いた訳じゃないんだけど大盛り上がり。アメリカ人がビールをガンガン飲んで騒いでる中で、黒人のキックボクサーのオーランド・ウィットって選手が、レムコ・パドゥールっていう柔道家に袈裟で固められたままヒジを落とされてあっという間に失神する。

でも、ウィットのセコンドからは死角になってるから、ウィットが失神したことが分からない。失神したウィットに対して、パドゥールはガンガンヒジを入れる。レフェリーには試合を止める権利ががないからただ見てる。“本当に死んじゃうよ!”って、僕は戦慄したけれど、怖がってるのは日本人だけ。アメリカ人はビールを飲みながら“Kill him!”ってわめいてる。

要は、プロレスにリアルファイトの甘い夢を見ていた先に、こういうものがあるのかっていう衝撃ですよね。僅か1年前に見ていた甘やかな夢が、木っ端微塵に打ち砕かれたような気がした」

インタビューの続きはコチラから

『1976年のアントニオ猪木』書籍データ

『1976年のアントニオ猪木』

定価:1890円(税込)
ページ数:320ページ
判型:四六判上製カバー装
初版発行日:2007年3月15日
ISBNコ-ド:978-4-16-368960-9
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