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『1976年のアントニオ猪木』を紐解く(2)(3ページ目)

『1976年のアントニオ猪木』著者・柳澤健さんへのロングインタビュー。第二弾は、猪木の一年が大きな歪みとなったプロレス界に、"リアルファイトという現実"を突きつけられたUFCの到来を紐解く。

執筆者:川頭 広卓

「プロレスはプロレス、リアルはリアル。
異なるものを中間で誤魔化すなと思うのは当たり前」

――当時、UFC2を目の当たりにして、柳澤さんの率直な感想というのは?

「“この先に何があるの?”っていう部分では、終着点を見たような気もしたし、何かの始まりを見たような気もした。ただ、平(直行)さんは“俺、こんなのやらなきゃいけないんですよね?”って震えてたし、市原(海樹)さんが負けたことにもショックを受けて号泣していた。あれは忘れられないシーンでしたね。

この衝撃を目の当たりにして、日本人は度肝を抜かれて、意気消沈してしまった」

――UFCの登場で、プロレスやU系を見なくなった人もいました。

「それは分かりますね。UFCを見てしまった人間にとって、プロレスはプロレス、リアルはリアル。まったく異なるものを中間のところで誤魔化すなよと思うのは当たり前。

その頃僕は女子プロレスにはまっていて、Numberでも特集を組んだけど、あれはリアルファイトではないけれど、やっぱり大変な世界なんです。男には絶対できないでしょ。落ち方ひとつにしても“危ないよ、死んじゃうよ。どうしてこれで平気なの?”と思う。あれは本当にすごい世界だし、本当に熱狂したし、本当に愛したけど、強い弱いとはまったく違う世界ですからね」

――プロレスはプロレスの世界でしか生きられなくなりました。

「女子プロレスを観にくるファンって“女子プロこそが最強なんだよ”って思わない訳ですから、最強幻想が介在しない。そこが気持ちいいんです。

僕は、全日本プロレスファンだったことがないから分からないですけど、馬場さんを好きな人は、真剣勝負とは違うプロレスの完成度みたいなものを求めていたはず。だから、プロレスと格闘技を一緒にしようとする猪木こそ、間違いだったんですよね、彼らからすれば」

――全日本プロレスの四天王ブームに、こうした背景も影響していたのかもしれませんね。

「1995年に『夢の架け橋』っていう週刊プロレス主催興行が東京ドームであった。(ターザン)山本さんから切符を買って行ったんだけど、会場では全日本の四天王が登場した時に最高に盛り上がった。

でも自分ではその理由が全然わからなかった。全女のタッグマッチ(井上京子&アジャ・コング vs ブリザードYuki&豊田真奈美)の方がずっとすごい試合だったと思う」

――あの頃は、みちのくプロレスの6人タッグも名物カードとして人気がありました。

「そうそう。みちのくプロレスも、女子プロレスが盛り上がったのも、新間さんのユニバーサルから始まっている訳ですよ。アジャとか、バイソンがユニバに出て、自信つけたアジャがお客さんを全女に連れて帰る、と。

ユニバーサルって団体は、面白い団体であったことは間違いないですね。最強という路線と関係ない、みちプロの面白さって言ったらなかったよね。両国国技館の「竹脇」とか行ったもん。ジョニー・セイントのクルクル回るレスリングは衝撃的で、イギリスのレスリングの一方の本質はここにあるのか・・・、ってこんな話でいいの?(笑)」〔次号へ続く〕

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