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ハッスル山口日昇新社長に聞く(上)(2ページ目)

ハッスルはその母体をDSEから新会社ハッスルエンターテインメントへと移管した。新生ハッスルの舵取りを担う山口日昇社長に聞いた60分。その話は多岐に渡った。

執筆者:川頭 広卓

山口社長の“世の中とプロレスをする”という理念

ガイド:その後は、プロレスファンから、出版の世界へと入っていくことになりますが?

山口社長:プロレスの仕事をやるというのは、僕の中では全く思い描いてなかったんですよ。ただ、中学生の頃にちょっと素行が悪くて(笑)、高校に行くか、行かないかという進路指導の時に、口からでまかせで「プロレスラーになる」って言ったことがあるんです。そしたら、進路指導の先生が全日本プロレスに電話してくれたんですよね。

ガイド:また、熱心な先生ですね。

山口社長:僕も柔道部の部長だったし、体重はまったくなかったんですけど、「まぁ一応聞いてみるか」ということだったんじゃないですかね。で、先生が電話をしてくれて、「身長176センチで体重65キロ。柔道部で将来有望な金の卵ですが・・・」って言ったら、「プロレスを舐めるな」って言われてガチャって切られたらしいです(笑)。僕の中では馬場さんが電話口の向こうでそう言ったということにしてるんですけどね。幻想ですけど(笑)。

ガイド:そう言われると、本当に馬場さんが出たような気がしますね。

山口社長:そこからまたプロレスへの幻想が膨らんでしまって、「あ、やっぱり俺なんかがなれるもんじゃないんだ」って思うようになったのも事実ですね。

ガイド:ちなみに柔道での実績は?

山口社長:県大会で3位にはなったことがあって結構有望でしたよ(笑)。高校からスカウトも来ましたし。だから、プロレスラーになりたいというのは本気で考えたことではなかったんですけど、成人するかしないかの頃マスコミに就職したいということは割と真剣に考えるようになってきましたね。で、出版社に入って最初に配属されたのが女の子向けのティーン誌でした(笑)。

ガイド:女の子向けのティーン誌ですか?

山口社長:はい。でも、創刊前からプロジェクトに加わって立ち上げたというのが今でもいい経験になっています。そこを2年くらい勤めて、フリーのライター・編集者になりました。そういう経験を経ていくなかで雑誌を創りたいなぁという思いが強くなっていったんです。で、雑誌を創るにあたって、自分の得意分野だったり、雑誌をつくるときにいい題材は何かって考えた時にフッと出てきたのがプロレスだったんですよね。

ガイド:雑誌の制作以前に、ベンチャー志向もあったのですか?

山口社長:あったかもしれないですね。まあ、もともと学歴がない人間ですから、自分でやっていくしかないなという覚悟はありましたけどね。一流企業には間違っても入れないですから(笑)。

ガイド:結果的に一流企業の社長さんになってしまった?

山口社長:持ち上げてるんだか、嫌味なんだかよくわからない突っ込みですね(笑)。いや、でも、一流企業に負けない企業にはしたいですけどね。

ガイド:ちなみに、雑誌『紙のプロレス』の創刊号というのはどんなものでしたか?

山口社長:A5版で、今見たらミニコミ誌に毛の生えたようなものですが、地方・小出版流通センターっていう小部数出版物専門の取次があるんですよ。ここを介して流通させたんですが、創刊号の刷り部数はたった5000部(笑)。でも売り切れましたけどね。高田文夫さんや亡くなったナンシー関さん、中島らもさん、椎名誠さん、立川談志師匠、馳星周さんに昔のペンネームで書いてもらったり。著名な方々にも頼みこんでご登場願って、プロレスを通していろんなことをいろんな人に書いてもらったり語ってもらったりしました。

ガイド:プロレス雑誌とは思えないような豪華な人選ですね。

山口社長:見るからに「これは儲けが目的じゃないな」っていう体裁の雑誌だったし、妙なエネルギーを出しているというか、その著名な人たちも、なんだかわからないけど、面白そうだなってことで参加してくれたんだと思います。著名な人にもプロレスが好きな人は多いし、文化人と言われる人の間でプロレスを語ることが一時熱を帯びたこともありましたからね。昭和50年代の半ばに村松友視さんが『私、プロレスの味方です』っていう本を書いて、そこから文化人がプロレスにガッと集まってきてた時期もあった。だからその時は、プロレス専門誌を創るという気持ちはなかったんです。それよりも“プロレスを媒介にして世の中の様々な事象とアクセスする”という斬り口で雑誌を作りたかったんです。

ガイド:それが噂に聞く、山口社長の“世の中とプロレスをする”ということでしょうか?

山口社長:そうですね。だからプロレスの試合結果、リポートなんかは一切載ってなかったんですよ(笑)。それよりも、プロレス好きの芸能人や文化人、もちろん無名な人たちのなかにも、プロレスそのものを語ることより、プロレスを通して世の中の事象を語ったり、プロレスを軸にして何かを考えたりするほうが面白いっていうファンが、その当時は潜在的にも多かったんですよね。プロレスを切り口に芸能、映画、事件、男、女、人間そのもの・・・、何でもいいんですけど、プロレスを通して世の中のあらゆるものを考える雑誌。プロレスを概念として捉える雑誌。この世にないものだけど、そういう雑誌をつくりたかった。

ガイド:なるほど。

山口社長:でも、そんなのをどこの出版社に売り込んでも通る筈がないですよね。実績もないし、実際世の中にないものですから。だから最終的には自分で創るしかないなって思って。26~27歳くらいの頃だからお金もないですから、知り合いや友達にも出資してもらってね。それで91年に『紙のプロレス』の第一号を出したんですよね。
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