90分のインタビュー。熱い想いが迸る
『キン肉マン』原作者、ゆでたまご・嶋田隆司先生。漫画界のフロンティアとして、新たな境地を次々と開拓している |
『キン肉マン』
変身ヒーローもののギャグ漫画を原点とする同作品は、昭和のプロレスブームを背景に一躍国民的人気漫画へと成長。超人、必殺技、名言、奇抜で斬新なアイデアは、世の青少年たちを虜にし、絶大な影響力を発揮。1987年の連載終了後も、テレビアニメ、ゲーム、キャラクターグッズに至るまで、その人気が衰えることはなく今もなお、見る人の心を掴んで離さない。その後も、1998年には待望の続編・キン肉マンII世の連載がスタート。リバイバル漫画の先駆けとして漫画界に新たなる境地を開拓してみせた。
ブームの源流に隠された信念。絶え間ない努力。繰り返される挑戦。
作者、ゆでたまご・嶋田隆司先生に語ってもらった90分には、成功へのキーワードがいくつも散りばめられていた。キン肉マン誕生から27年。夢中でキン肉マンをむさぼり読んだ“あの頃の少年達”へ贈る特別インタビュー前編。屁のツッパリはいらんですよ!
小学生のときに存在した、キン肉マン「プロトタイプ」
ガイド:ゆでたまごのお二人、嶋田隆司先生と中井義則先生が出会ったきっかけは?嶋田隆司先生(以下、嶋田先生):出会いはね、小学校4年生の時に彼がうちの小学校に転校してきたんです。クラスは違ったんですけど、同じ団地に住んでたんですよ。バス通学だったんですけど、行き帰りで時々一緒になって……。で、当時、僕はもうキン肉マンを描いていたんですよ、ノートに。
ガイド:え!?先生が小学生の時点で、既にキン肉マンは漫画化されていたんですか?
『キン肉マン』世代のガイド(右)。インタビューには、自然と熱が帯びる |
ガイド:中井先生が初めて漫画に触れたのが、嶋田先生が描いた“プロトタイプ”キン肉マンだったと?
嶋田先生:小学校の図工の時間で、モビール(粘土彫刻)を作ったんですよ。その時に彼がモビールでキン肉マンを作ったんで、「それ、盗作やないか?」って殴りこみにいって(笑)
ガイド:当時、中井先生は漫画家志望ではなかったんですよね?
嶋田先生:そうなんですよ。彼は野球少年でしたから。
ガイド:嶋田先生ご自身は?
嶋田先生:いや~、漫画家志望じゃなかったですよ。でも、小学校5年生の時、交通事故で入院しましてね、それでずっと漫画読んでだんです。その時に新人漫画賞っていうのがあって、「みんな、こういうのに応募しているんだ」って知って、出してみたいと思ったんですよ。小学生ですけどね。
ガイド:お二人で描き始めたのはいつ頃からだったのですか?
嶋田先生:なんだったですかね?う~ん、中学の時に合作しましたね。中井君が映画凄い詳しくて、「映画『大脱走』っていうのが面白いから」と勧められて(自分でも)見たらやっぱり面白くて、「よし、これを漫画にしよう」って。また、自伝みたいなのも書き出したんですよ。早くも。6ページ描いたら、今度は相棒が6ページ描くみたいに。なんか、(二人の)絵がよく似ていたんですよね。