【第二回】究極の死闘 バス・ルッテン戦
【第三回】UFCサーカスと鉄人クートゥア
トップコンテンダーとして母国へ
ヒーゾ撃破がトップ戦線生き残りの絶対命題だったUFC-J'99だが… |
>UFC-J(99年11月)のメインイベントとしてペドロ・ヒーゾとの対戦がマッチメイクされたのだ。
当時、UFCの王座戦線は結構錯綜していた。
まず高阪を破ってトップコンテンダーに躍り出たのはルッテンだった。5月のUFC20でケビン・ランデルマンと対戦、見事ヘビー級王座を射止めたものの、練習中に右肩の二頭筋を断裂、王座を返上していた。したがってケビン・ランデルマンとピート・ウィリアムスの一戦が次期王者決定戦として行われることになっていた。本来、ルッテンとのデッドヒートを演じ、ピートにはすでに勝利している高阪が、トップコンテンダーに来なければならないところだが、キャラクター的に突出したものを持つケビンの王座奪取を期待したUFCの“政治的配慮”が匂うマッチメイクによって、高阪は王座挑戦から一歩遠ざけられたのであった。(また、ランデルマンは、ルッテンとの一戦の判定を不服として、一時は引退騒ぎを起こしたりしており、その時の“借り”を返す意味でもUFCは高阪やヒーゾより比較的安全パイであったピートを抜擢するという方法をとったようだ。)
対戦者のヒーゾはルタ・リーブリの雄マルコ・ファスの一番弟子で、オランダドージョー・チャクリキでの打撃修行も経験。その縁でピーター・アーツのスパーリングパートナーも務め、当時の総合の選手としては珍しくK-1にも参戦した経験も持つストライカータイプの選手。UFC参戦後はマーク・コールマンやタンク・アボットといった強豪を相次いで撃破、まさに飛ぶ鳥を落とす勢いがあった。下手をすれば、ランデルマンより危険な対戦相手である。
前々回のルッテン戦でストライカーに対する脆さを露呈した高阪としては、ここで絶対名誉挽回しておかなければいけない場面であった。まして母国での初ケージ戦ということもあり、この二年自分がUFCで闘って来た成果を見せなければならない。
この日のセコンドの顔ぶれを見るだけで、当時高阪に賭けられた期待の大きさを伺う事ができる。UFC参戦の先達であるエンセン井上、正道会館を離脱したばかりの佐竹雅昭、そしてリングスの同僚である金原弘光、そしてアライアンスの盟友モーリス・スミスが、高阪の王座取りへのシフトをがっちりサポートしていたのである。
対戦前、「作戦的には、グランドに持っていき、そこで勝負を決めたい。今回より一部ルール改正で、グランドでの膠着も止めないので自分にとっては、有利になると思います。」と高阪は語っており、ルッテン戦での反省をふまえて、やはり自分の得意のフィールドであるグラウンドで勝負をつけようという作戦だったようだ。