世界の檜舞台での連敗

さて、この後UFCのトップ戦線を離れた高阪は、一年間リングス内部での戦いに専念することになる。UFCでの敗戦の傷を癒す間もなく、早速一ヶ月後の12月22日には新ルールKOKトーナメントの一回戦として、クリストファー・ヘイズマンと対戦。なんとか判定でヘイズマンを退けたものの、翌月の二回戦では天敵ギルバート・アイブルの天衣無縫なストライキングの嵐にわずか1分17秒で流血レフェリーストップとなる黒星を喫する。

これまで“魅せる戦い”を主に闘って来たホームリング・リングスの内部にも、KOKルール導入によって一気に世界トップ水準の競争原理が持ち込まれ、なまはんかな事では勝利が得られない状況となってきたのであった。

それまで“格闘技はゲーム”という理念を掲げ、己が技術と頭脳でUFCという世界の最前線に参入していった高阪だが、問答無用の西欧のパワーファイター達との戦いのなかで、その理念の限界を迎えつつあったのかもしれない。

翌年のクートゥアとの対戦までリングスでのKOKマッチに専念した高阪が、再び世界トップとの戦いに乗り出していったのは2001年4月のこと。高阪はUFCに勝るとも劣らない、世界的ビッグイベントの舞台を踏むことになる。

格闘技好きで知られる大富豪、アラブ首長国連邦アブダビ王国のシェイク・タハヌーン王子主催の第4回サブミッションレスリング世界選手権(通称・アブダビコンバット)に、推薦選手として招聘されたのである。

この大会は名称からも判るとおり総合格闘技の大会ではないが、柔術や総合格闘技のトップスターを世界から集めた“通好み”のサブミッショントーナメント。賞金も多額だが、結果が残らなくても王子のお眼鏡にかなえばポケットマネーでポンと“お小遣い”が手渡される、まさに「タハヌーン王子による、王子のための」プライベートな御前試合。普段総合で常に怪我の危険やギャラの苦労に晒されている選手達にとっては恵みの泉のような大会でもあり、ビッグネームの選手が続々参戦する事で知られている。

高阪の推薦はUFCでの知名度もあったが、主にはKOKルールを採用し世界でも新勢力として認知が進んだリングス所属と言う要素も大きかったようだ。いわゆる予選枠を免除された形で、同僚の田村潔司とともにこの舞台への出場権を得ることになる。

だが、そこで高阪を待っていたのは、98キロ級一回戦で、彼のグレイシー一族でも最強といわれた故ホーウスの遺子で身長193センチの巨体を誇るホーレス・グレイシーに判定2-5で敗退、そして無差別級でもジアン・マチャドに腕十字での一本負けという過酷な結果であった。

この時87キロ級で優勝した菊田早苗は「寝技世界一」のキャッチフレーズを我が者とし、パンクラスでの存在感をさらに高めている。その対照をおもしろおかしく囃し立てる専門誌によって、同じく一回戦で敗退した田村とともに“オールドドッグ(時代遅れ)”とまで書かれた。

その書き様の妥当性はともかく、再起を期して挑んだ6月のリングス内部のヘビー級王座トーナメントでもレナート・ババルに敗退、世界最前線で高阪の歩む道は確実に狭まっていっていた。

(続く)

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