UFC参戦にこだわり続けた二年間の迷走
正直なところを言わせてもらえば、高阪世界の総合の最前線に出てくることはもうないのではないかという、漠然とした予感が僕にはあった。34歳という彼の年齢の問題もあるが、なにより“闘う場”という意味で。
実はここに2年ほど前に収録した彼のインタビューがある。
2002年9月の「DEEP9th IMPACT」の直前、DEEP公式ページの素材用に行ったものだ。その中で、彼は「UFCへのこだわり」をこんな言葉で語っている。
「自分の中のベースにあるのはUFCで、5月に試合したときから言ってますけど、ちょっと掴みかけて掴めなかったものっていう、ものすごい“しこり”があるんで、それをしっかり見つけてないとなんか進みにくいというか、足が重いなと感じがする事があるんですよ」
世界の桧舞台で戦った記憶。
おそらくそれは、野球界におけるNBLや、サッカーにおけるセリエAで闘う日本人アスリート達に共通する感覚ではないだろうか。日本という狭い枠を、自らの力で踏み越え、そして世界の真の頂点に手を掛けた男達。その目に映った光景は、日本に戻ったのでは取り返せない遥かな高揚感と興奮に満ちたものだったはずだ。そして、現役アスリートとして、そこに“置き忘れたもの”を持っている限り、高阪の日本での戦いは全て、その場所へ帰っていくためのパスポートとしての意味しか持たなくなる。
だが世界トップとの戦いが途切れ、UFC自体が彼の前に硬く扉を閉ざしている現在、そのパスポートは破かれたも同様だ。もう彼が“全てを賭けて戦える場所”は無いのではないか。僕の“漠然とした予感”はそこに起因するものだった。
確かにUFCにも勝るとも劣らないPRIDEという“もう一つの頂点”が日本国内に存在するではないかという声もあるだろう。しかし、“世界のTK”がそのリングに上がる気配はまったくない。
DSE側とすれば、当然彼ほどの選手を視野に入れていないはずもない。エース吉田との交流関係もあることを考えれば、いつ“お座敷”がかかってもおかしくない距離感だ。にも関わらず、実際マッチメイクとして結実したものは何一つない。またその謎を、高阪自身にいくら水を向けても、彼は言葉にはしない。
「自分は昔からそうなんですけど、戦う場所というのは関係ないと思うんです。リングスで培ったものは自分の中にありますから、それをどこで発揮するかということへのこだわりはないです。やりたい相手とか、良い環境で試合ができればいいと思ってますから」
件のインタビュウでも案の定、こんな柔らかな言葉で、明言を避けられてしまった。
ただ、その内心の葛藤を推測することはできる。
その最も大きな理由として、PRIDEとUFCの現在の微妙な離反関係を挙げることが出来るのではないだろうか。
昨年、元ヘビー級チャンピオンのリコ・ロドリゲスとライトヘビー級のトップコンテンダーであるチャック・リデルを派遣、UFCはPRIDEに急接近をみせた。一時期は桜庭、あるいは藤田をUFCに上げる形での合同興行が構想され、記者との懇談の中で榊原社長、あるいはダナ・ホワイト社長がそうした提携案の存在を覗かせる一幕もあったように思う。だが、結局それらのプランはすべて実現しなかった。そうするうちに、ミドル級トーナメントでのUFC代表のチャックが敗退。東西二大団体の短い蜜月は、これを機に終わった。
さらにUFCのダナ・ホワイト社長は、選手を借りるだけ借りて、貸し出さないPRIDEの非協力的姿勢を指摘。「お前達が来ないならこっちが行ってやる」と敵対参入であるUFC日本大会の開催をぶち上げたが、結局12月12日とされた「UFC51」の日本開催案は見送りとなった。
こんな政治的背景もあって、高阪は自分の立ち位置を定めたのではないだろうか。一度PRIDEに上がってしまえば、彼はPRIDEサイドの一日本人選手として取り込まれてしまう。あくまでUFC復帰を目指す高阪にすれば、その轍は踏めない。
吉田秀彦、横井宏孝らのセコンドとしてPRIDEのリングサイドにつく姿は何度も見られたが、決して自分はそこでは試合をしない。
ほとんどの総合格闘家が「夢はPRIDE」と語る格闘技界の一極集中状況を他所に、高阪だけはUFCに合わせた照準を動かそうとしない。その頑なまでの姿勢が僕には不思議であり、さらに言えば魅力的でもあった。
ただ、一本気にUFCからのラブレター到着を待つのはいいとして、現役生活を続けるためには一定のタイムリミットがある。いくら高阪が常人離れした体力の持ち主とはいえ、例外ではない。最大のオクタゴン復帰チャンスであった、幻の日本大会が流れたことで、高阪の“賭け”は完全に裏目に出たのではないか?
もし、UFC-JAPAN2004が実現していれば、前ヘビー級チャンピオン(薬物使用で王座剥奪)のティム・シルビアとの対戦が予定されていたともいう。これまで高阪が対戦してきた、超トップ級の王者たちと比べれば、シルビアはあきらかに一流半の選手。戴冠の可能性もぐっと高かったはずだ。それだけに、そのチャンス消滅は非常に悔しいものだった。
だが、高阪はさらにその上を行く必殺の逆転案を胸に秘めていたのである。
それが今回のパンクラス参戦だったのだ。