■「痛み」に対する恐怖が突進力に変わる
サップは確かに攻撃させれば怒涛の強さを見せる選手ではある。しかし、それは先ほども書いたようにゴング即トップスピードに上げて突っ走る“攻めダルマ”的強さでしかない。逆に言えば守勢に回ったときの“凌ぎ”を、(少なくともK-1のリングでは)サップはほとんど経験したことがない。
攻撃されたときの「痛み」に耐えられるかどうかは、突き詰めると「痛みの記憶」をどれだけ自分の中に備蓄しているかの勝負である。試合や練習でとにかくぼろぼろになるまで叩かれた経験を持つ選手は、その「経験値の総量」まで自分が耐えられることを知っている。だが、サップはその並外れた運動能力を買われて、イレギュラーに世界最高峰のリングに引き上げられた選手である。逆に言えば、エリートであるがゆえに「自分の弱さ」に直面するが無いまま、リングにあがっているわけだ。
良くサップのトレーニングパートナーである宮本正明が「あいつ(サップ)は格闘技始めて一年足らずの選手ですよ。経験していないことが山ほどあるんです」というが、まさにその通り。ずばり言ってしまえば、サップは殴るのは得意だが、殴られることには慣れていないのだ。東京ドームでホーストのローを浴びたときの苦悶の表情を見ても然り、こと「受け」に回ったときのサップは、まだまだグリーンボーイの域を出ない選手なのである。
逆に未知の「痛み」が怖いからこそ、殴られる前に殴ろうとするあの猪突猛進型のファイトスタイルが生まれたともいえる。試合前からアドレナリンを総動員して、ゴングがなる前に自らのギヤをトップに入れてしまうことが、サップに出来る最大限の自己防衛だという見方もできる。
「攻撃は最大の防御」などという言葉をここで改めて引っ張り出すのも陳腐な話だが、事実、試合前のサップの表情をみていると、まるで興奮剤を投与された闘牛牛のように目をギョロつかせて、酸欠状態の魚のように口をパクパクさせていることが多い。あれは恐怖を越えて、「逆ギレ」現象を人工的に呼び覚そうとしている人間の表情だと考えれば、平仄の合う部分が多い。
だからこそ、あのブレイクの持つ意味は大きかったのだ。
たった30秒ではあるものの、ピークの興奮状態を断ち切られたサップは、明らかに再開以降動きが鈍くなっている。故意であれ、偶然であれ、(あるいは流れを変えたいと考えたミルコのインサイドワークであった可能性も含めて)そこに気持ちのエアポケットが生まれたことは間違えない。たとえ一瞬であれ、張り詰めた緊張の糸が切れると、それを再びトップギヤ状態に戻すのは至難の業である。そこが、道をふさぐダンプカーの、一瞬のパッシングポイントになったと僕は思うのである。
事実、このブレイクを起点にミルコはサップと撃ちあうための適切な距離をキープできるようになった。だからこそ、フィニッシュに繋げたあの左ミドルを、サップのわき腹にぶち込むことが出来たのである。序盤、サップの突進を止めるために放った一発目の左ミドルとは、明らかに“効き”が違うのは誰の目にも明らかだった。
そして、全国のファンが一斉に息を飲んだ必殺の左ストレートが炸裂。苦しげにマウスピースを吐き出して、よろよろとマットに崩れ落ちたサップの姿は、今も僕の目から離れない印象的なシーンであった。ここでも「痛みの経験値」の問題が勝負に影を落としたわけだ。