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3.30ミルコ戦敗北で露呈した“ザ・ビースト”の脆さ 「ボブ・サップ無敵神話を剥ぐ」(2ページ目)

3.30のミルコ戦に敗れたボブ・サップ。早くもブーム終焉の声も聞こえる今、半年の封印を解いて、All aboutがお贈りする“サップ現象”の格闘技的読み方。

執筆者:井田 英登

■ダンプとF1マシンの異種格闘技戦

サップのプロとしての存在感は認めよう。

しかし、彼の積んできた戦績を額面通り受け取ってはいけない。
K-1に限っていうなら、中迫戦もアビディ戦もホースト戦もすべてひっくるめて、サップの試合は、ズバリF1のサーキットに紛れ込んだ、ダンプカーかホットロッドのマシンが繰り広げた、異種格闘技戦のような物だと僕は思っている。

本来、ダンプカーがフォーミュラマシンとが公平に横並びでヨーイドンで走り出せば、競争にならない。しかし、F1マシンの前にダンプカーを置いて走路を塞げば、どんな高速のレースカーでも追い越すことは出来ない。というか、そもそもそんなものは競技でも何でもない。サップは、体格面において、他のF1マシンのレギュレーションを凌駕した存在=存在自体が反則といったレベルでリングに君臨しているのだ。

冷静に考えてサップの体重150キロという数値の意味を考えて欲しい。平均的なK-1ファイターと比べて、50~60キロの体重差があるのである。

たとえば体重70キロの魔裟斗が、120キロのバンナと正面から撃ちあって勝つ事は普通ありえない。フォーミュラマシンとダンプカーでも、象とアリでも、素手の人間とライオンでも構わないが、正直、そんなカテゴリー違いの二者をぶつけあうのはコンペティティブなスポーツにはなりえない。ただの破壊ショーだ。

だから、あえてこのAll aboutの連載コラムでも、これまでサップの事に関してはことさらに取り上げようと思わなかったのである。いや、もっと正直に言えば、取り上げるのを拒否してきた、のだ。

無論、石井館長がその体格差を無視してサップをK-1に上げた意図は十分理解できる。誕生から10年、競技スポーツとしてこぢんまりとしてきたK-1に、「狂った象の乱入」という“疑似的な事件”を仕掛けてショック療法を施そうとしたのだろう。もちろんイベンターとしては目の付け所は抜群だ。狙い通りK-1人気は、格闘技ファンだけのものから、確実に一般シーンにまで届くものに拡大した。その結果サップも、たった一年でお茶の間の人気者にのし上がったわけで、企業経営者としては、まちがえなく大正解の選択だった。

ただ、ことスポーツ競技という点でいうならば、評価はまったく正反対になる。そもそも競技の秩序を作りだした神のような存在が、一方ではその場の秩序をかき回すような運営を行っているのだから、まるでジキルとハイドである。

別件である脱税事件が原因とは言え、石井館長がK-1の表舞台から姿を消すことになったのは、競技としてのK-1を土俵際で守ることになった気がする。仮にあのまま、石井館長がマッチポンプ的な運営をエスカレートさせていっていたら、K-1というスポーツはスクラップ&ビルドの果てに原形を止めないほど別物になってしまっていただろう。

それを進化と呼ぶ向きも当然あるだろうし、僕もそれは否定しない。だが、それを見守るファンの心は明らかに揺れたはずだ。インターネットの世界だけを見ても、幾つもの熱心なK-1ファンページが運営を停止させてしまった事実がある。こうしたページの主催者は、K-1の従来の世界観を愛し、支持してきたコアなファンだったわけで、その彼らがK-1について語ることを止めたという現象は、決して無視できるような軽いものでないことだけは指摘しておきたい。
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