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連載「“リアルファイト”の十年間(3)」 プロレスとの不連続線~UWF編(2ページ目)

プロ格闘技興行大きくが変動したこの10年間をテーマに、「格闘技」の意味と現状をディープに掘り下げる連載連載第3回。今回の話題は「UWFのその後」と「1993年の三つの革命」。

執筆者:井田 英登

■ルールという名の憲法

UWFが時代に取り残されたもう一つの原因は、ルール至上のスポーツマインドを持つことが出来なかった事です。
すべてのスポーツはまずルールありきで成立します。いわばルールはスポーツにとって絶対の憲法にあたります。ですから、それを侵害するスタイルも、そして技術もありえません。スター選手にいかに人気が有ろうと、彼の勝手でルールは変ったりしませんし、その鉄則があってこそファンは真剣な勝負に価値観を見いだすことができるのです。しかし、当時のUWFの人気は競技としての人気ではなく、あくまで選手個人の人気でした。興行人気=権力であり、表向きルールが侵害されるようなことはありませんでしたが、人気選手の言動や意志で団体全体が方向性を決めていたのも動かせない事実です。いわばルールの前に全選手が平等に扱われ、ルールに乗っ取って勝利を掴んだ選手が敬意を受ける世界とは、まだまだ隔たりが大きかった訳です。

結局、UWFはそうした矛盾を内包しながら解散し、分裂を繰り返していくことになります。藤原喜明率いる藤原組には船木、鈴木といったUWFのホープが集い、ゴッチ直系の関節技の攻防を繰り広げて一部のマニアの熱狂を呼びましたが、93年に空中分解、後に中核メンバーがパンクラスを結成します。


一方、高田延彦、山崎一夫、安生洋二ら中堅らは、UWFの名跡を継いだ形でUWFインターナショナルを結成。高田を軸に従来のプロレスに歩み寄った形での興行を開始。後にキングダムへと名前を変え、オープンフィンガーグローブを着用、一部にグラウンドパンチを解禁した団体としてヴァーリトゥードに非常に近づいたファイトスタイルを取り入れて周囲をあっと言わせました。このルールで研鑽を積んだ、桜庭和志、金原光弘、高山善廣、山本喧一らが後にPRIDEやUFC-J、後期リングスなど本格的にMMA化したルールの元で活躍することになります。

そして最後に一人残った、UWFの象徴前田日明はファイティングネットワークリングスを旗揚げし、世界中のプロレスを経由しないさまざまな競技の格闘家をプロのリングにあげるという形で時代を先取りしましたが、二年後に勃興したUFCとグレイシー柔術の巻き起こした大波の余波を潜り脱ける事は出来ませんでした。UWF最大の特徴だったロープエスケープや平手で顔面を撃ちあう掌底打撃などを廃止し、世界標準となったMMAルールに歩み寄ったリングスでしたが、グラウンドパンチの導入を最後まで拒む形で、ゴッチ直系の関節技の攻防を残そうと抵抗したため、MMAルールとの落差が最後まで修正できないまま2002年活動休止を迎えました。結局、あれだけ世間的に大きな話題となった1998年の第二次UWFから14年、団体という形で命脈を繋いだのはパンクラスのみとなってしまいました。当初からスポーツ化を目指して変化を厭わなかったパンクラスと、プロレスフィールドに片足を置いた世界で迷走した他の団体との、ポリシーの差がこの結果を招いたのかもしれません。
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