■UWFはなぜメジャースポーツになれなかったのか?
さて、前回は、80年代後半爆発的ブームで迎えられた“リアルなプロレス”UWFの台頭までをお話しましたが、あれだけの輝きを放ったUWFという団体の寿命は実は二年半たらずと非常に短いものでした。ではUWFが完成した「スポーツ格闘技」として成功することがなかったのは、なぜでしょう。
たしかに団体としての崩壊は、内部の人間関係の不協和音が原因だったのですが、それにもまして今現在UWFの試合をスポーツとして評価する人はあまりいません。“あくまで過渡期の産物”として省みられることが無いというのが、現在のUWFに対する評価だと言ってもいいでしょう。
大きな理由は二つ。まず、その一つ目は「技術の未成熟」です。
元々カール・ゴッチの夢想した技術体系は、関節技というフィニッシュを如何に決めるかを中心に組み立てられていて、そこに到るためのプロセスが欠け落ちていました。プロレスというのは、逆にそのフィニッシュをきれいに決めるところをお客にアピールするものですから、選手には「受けの美学」というものがあり、相手の技術をことさらに邪魔しません。したがって、極めにいたるプロセスに障害がありません。競技スポーツになると、相手に極められる事は敗北ですから、そのプロセスを邪魔するのが「負けない」方法論になります。
いわば目指すベクトルが正反対なところから立ち上がった技術であったが故に、スポーツとしての完成が遅れていたのです。また、プロレスは、グラウンドでの顔面殴打という局面を真剣に考えた対応技術がありません。技は貰うものであり、決定的な危険はそもそも仕掛けないというのが暗黙の了解です。したがって馬乗りになった相手が顔面にパンチを落としてくる場合というのを想定した技術など育つ地盤もなかったわけです。
UWFの中にも競技スポーツとしての可能性を指向した選手は居たはずですが、結局基盤になる技術が体系化していなかったために、打撃はキックボクシングから、投げはレスリングや柔道から、極めはサンボやゴッチ流の技術から借りてきたものの、それらを最大限有効に結び付ける「競技のデザイン」が中途半端に終わってしまい、その空白をプロレス的ルーティンで埋めてしまった事が技術の進化を許さなかったのだと思われます。