日本サッカーのために尽力した外国人指導者、選手は多い。なかでも、より日本人を知ろうとし、ときには日本人以上に“大和魂”を持った人物もいる。そんな指導者や選手を紹介する。

「日本サッカーの育ての親」 デッドマール・クラマー

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日本代表90年を越える歴史で日本を進化させてきたのは、大和魂をもった外国人選手であり、監督であった―
“日本人をより深く知ろう”と尽力した外国人として、1960年の東京オリンピックに出場する日本代表を指導するために来日した「日本サッカーの育ての親」といわれる、ドイツのデッドマール・クラマー氏が筆頭に挙げられる。クラマー氏は「ベルンの奇蹟」といわれた1954年のスイスW杯で西ドイツが優勝したときの代表監督、セップ・ヘルベルガーの愛弟子の一人だった。

そのヘルベルガー氏の推薦もあり来日したクラマー氏は、釜本邦茂、杉山隆一ら当時の日本代表選手に基本練習から指導した。その後欧州遠征も実施し、ドイツのアマチュアチームに0-5と大敗したときには「君らに大和魂はないのか!」と叱責したという。そのかいもあってか、日本は東京オリンピックでは強豪アルゼンチンを破りベスト8と大健闘。

東京オリンピック終了後にクラマー氏は帰国したが、その当時の選手たちが中心となって出場したメキシコオリンピックでは、日本は銅メダルに輝き、釜本選手は大会得点王に輝いている。

クラマー氏はその後バイエルン・ミュンヘンの監督となり、1975-76シーズンには現在のUEFAチャンピオンズリーグの前身、UEFAチャンピオンズカップで優勝。氏はその時の記者会見において「メキシコオリンピックで日本が銅メダルを獲得したときが、自分のサッカー人生で最も幸せな瞬間だった」と語ったという。

第2次世界大戦中は落下傘部隊として戦争を体験し、その後捕虜にもなったことがあるクラマー氏。メキシコオリンピック3位決定戦での日本代表選手たちの死闘ぶりをみて「これぞ大和魂だ」と思ったのだろう。

そんなクラマー氏は、2005年に「日本サッカー殿堂」の第1回受賞者となった――。

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