ドーハの悲劇「重い扉」
山本アナウンサーの名実況のファンは多い |
「1954年昭和29年、第5回スイス大会予選に初めてワールドカップの門をたたいて以来およそ40年。日本はイラクとの試合でワールドカップ本大会への扉を開け放とうとしています。これから始まる90分間で、40年の歴史を変えようとしているんです。」(1993年10月28日 W杯アメリカ大会アジア地区最終予選・日本対イラク)
1992年にJリーグが始まり、日本のサッカーがプロ化して初めて迎えるW杯。カズこと三浦知良、ラモス瑠偉、中山雅史、井原正巳といった選手を擁した日本代表は、W杯初出場へ向けてまたとないチャンスを迎えていた。
日本は勝てば出場が決定する。このカタール・ドーハで行われた試合は、日本では深夜の時間帯に放送されたにもかかわらず、多くの人が中継をテレビで見守った。Jリーグの影響もあり、サッカーを知らない人でも、この一戦は関心を集めた。
前半6分、長谷川健太のシュートがバーに当たって跳ね返ったところをカズが頭で押し込み、日本に待望の先制点が入った。だが、後半9分に追いつかれ1-1とされる。他会場ではライバルのサウジアラビアと韓国がそれぞれリードしていたため、日本は勝たなければならない状況になってきた。後半25分、中山のシュートで2-1と再びリードに成功する。
私も深夜家族4人でTVを見ていた。普段サッカーを見ない母親も兄も見ていた。私もトイレを我慢し食い入るように見ていた。しかし……。勝利をほぼ手中に収めたかに見えたロスタイム、イラクの選手のヘディングが日本ゴールに突き刺さった。
「アメリカへの道。重い扉、ついに引き分けという形で終わってしまいました、ニッポン」
選手も、日本から来た応援団も、テレビの解説も、そして視聴者も言葉を失った瞬間だった。
そして、翌年の本大会決勝では“イタリアの至宝”ロベルト・バッジョが決勝でPKを外し、ブラジルが4度目の優勝を果たした。