小説のなかの夏の恋は刹那的でエロティック。そして多くは失われた、過去の恋を描いているからこそ美しいもの。鮮烈なイメージを残す5冊を、思い出の場所を軸にしてセレクトしました。
白い花が咲く七竈の木の下で桜庭一樹『少女七竈と七人の可愛そうな大人』
鉄道オタクの美少女といんらんの母。それぞれの恋と旅立ちを描いた長編小説。 |
辻斬りのように男遊びをしたいな、と思った。ある朝とつぜんに。そして五月雨に打たれるように濡れそぼってこころのかたちを変えてしまいたいな。
小学校の教師をしていた優奈は25歳の初夏、同僚に七竈の木は七日間燃やすとよい炭になるという話を聞いて、なぜか七人の男と寝てみようと思いたつ。彼女は七人の男と一夜かぎりの関係を結び、生まれた娘に〈七竈〉という名をつけます。優奈は娘を父の元に置き去りにして、それ以降ほとんど家に帰りません。七竈は小さな田舎町には溶け込めないほどの美少女に成長しますが、母を反面教師にして〈男たちなど滅びてしまえ〉と思っている。親友の雪風をのぞいて……。旭川を舞台に、章ごとに語り手を変えながら描かれる、母と娘の物語です。
雪と肌の白、七竈の実とマフラーの赤、鉄道模型と少年少女の髪や瞳の黒という色彩の対比の鮮やかさ。かんばせ(顔)、いんらん(淫乱)といったひらがな使いと同じフレーズの繰り返しが音として気持ちいい文体。鉄道に耽溺する美少女と美少年というキャラクターのおもしろさ。どこをとっても小説を読む愉しさを味わえます。また、大きな事件を描かずとも、登場人物のこころの動きそのものが魅力的な謎になっている1冊です。
夏の場面は短いですが、優奈と男が白い花が咲く七竈の木の下で抱きあうシーンなど、忘れがたい印象を残すはず。
開いたままの大きな窓の前でイアン・マキューアン『最初の恋、最後の儀式』
イアン・マキューアンのエロティックで幻想的なデビュー作品集。 |
夏のはじめからすべてに意味がなくなるまで、ぼくたちは頑丈なオーク材のテーブルに薄いマットレスを敷き、開いたままの大きな窓の前で絡みあった。
という一文ではじまる表題作。17、8歳の少年少女が、夏中テーブルの上で、窓は開けっぴろげで、セックスばかりしている。しかも家には、彼ら二人以外、誰もいません。どうやらそこは〈ぼく〉の家らしいのですが、家族が一緒に住んでいる気配はない。少女――シッセルは、家族との関係がよくない様子。シッセルの弟だけがときどき二人のところにやってきます。〈ぼく〉とシッセルは、閉ざされた世界をつくっているのです。やがて訪れる終わりの予感。
〈ぼく〉がシッセルと睦みあっているときに、たびたび存在を感じる〈怪物〉とは? その正体に思いいたったときの戦慄。好みは分かれるかもしれませんが、気に入れば著者の作品を読破したくなると思います。
川ぞいのおんぼろアパートで光原百合『十八の夏』
表題作は第55回日本推理作家協会賞(短編部門)を受賞。 |
川のほとりで絵を描いている女性。妖精めいた美貌を持つ彼女――蘇芳紅美子と、予備校生の三浦信也は、紅美子の絵を信也が拾ったことをきっかけにして、言葉をかわすようになりました。デザイナーをしているという紅美子は、川の側にあるおんぼろアパートに引っ越してきたばかり。信也は、家では落ち着いて勉強ができないという理由をつけ、紅美子の部屋の真下を借りて、ひとり暮らしをはじめます。
もうすぐ生まれる信也の姉の赤ん坊の話、〈お父さん、お母さん、僕、私〉と名づけられた4つの朝顔の鉢の話。信也は勉強をさぼっては紅美子の部屋を訪れ、他愛ない会話を楽しむ。それから紅美子が風邪を引いたときに信也が食事をつくって持って行ったり、二人で徹夜でカラオケしたり。楽しい日々は続くように思えたのですが……。ときどき紅美子が見せる重苦しい表情の謎が解けたとき、切ない結末が待っています。
〈朝がほや一輪深き淵の色〉という与謝蕪村の俳句の使い方も巧い!
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