テクノポップ/アーティストインタヴュー

Geodezik & ミニコン from Basix(2ページ目)

1998年にGeodezikとしてデビュー、その後Basixレーベルを設立した下城さんにインタヴュー。朋友レーベル、キラキラディスクから発掘したminikonについても語ってもらいました。

四方 宏明

執筆者:四方 宏明

テクノポップガイド

minikonとは?

スーパーミニコン
ミニコン
――では、Basixというレーベルについて教えてください。Basixの一押しはminikonとお聞きしていますが、1曲目の「Hollywood Rabbits」からもう“なるほど感”でいっぱいになりました。YMOとジャパニーズTVゲームを敬愛しているのが伝わります。Geodezikと海を隔てながらも通じるものを感じます。で、minikonとは何者なのでしょう? アメリカ人と知り、とても意外でした。アメリカ人にはなかなか見られない非マッチョなキッチュさが感じられます。

02年の夏だったと思うんですが、レコ屋のエレクトロニカ・コーナーに一枚だけ異質なジャケのCDがあったんです。それが、ミニコンのファーストUS盤だったんです。ここまで徹底してるとサウンドは0点か10点だろうと。

もともと極端なモノが好きなので、即レジに駆け込み、家に帰りすぐプレイボタンを押しました。ハリウッド・ラビッドを聴き終えたと同時に鳥肌ザワーで(笑。即、拙い英語ですがオーナーのアーロンにメールしました。で、落ち着いて全曲聞いたところ、僕がGeodezikでやろうとした事を彼が全てやっていたんです。「もうGeodezikやめようかな?」と思わせた程に。

アーロンがメールで「君もオンガクやっているのであれば、デモを送ってくれ。話はそこからだ」と来たので、4曲程送りました。そのうち、「Ayana」(4枚目の4曲目)と「it」の2曲がツボに入ったようで、そこから密な交流が始まりました。

それから彼らの作品をBasixでリリースする事になりました。それまでには、本当に多くの方々に助けてもらいました。僕一人ではとても実現できませんでしたね。ミニコンとアーロン(e.b.i.)は根っからのYMOフリークでとくに「ホソノ・イズ・グルーヴィー」だそうです。

ミニコンのライヴ
――東京でminikonはライヴをしていたようですが、どのような反響が得られましたか?

Asleep In Tokyo
アゲアゲで、びっくりしました。正直なところ彼にはライヴは期待していなかったのです。彼のライヴが終わったと同時にライヴ盤のリリースを決意しました。後から聞いたのですが、そのライヴがうまれて初めてだったそうです。1st、2ndの曲からのリミックスが多かったのですが、オリジナルを凌駕しています。ジェームスは本当に天才だなと思いました。僕もそうなのですが、デペッシュ・モードも大好きみたいで、一番好きな曲は「Never Let Me Down Again」だそうです。ミニコンが来日した時は彼を含め4人で来たんです。皆マイブラファンなのが意外でしたね。シューゲイザー、ニンテンドー、YMO、デペッシュってどんな組み合わせだよ!って思いました。
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