テクノポップ/アーティストインタヴュー

幻のテクノポップバンド~MENU(5ページ目)

MENU・・・名前は知らなくても、80年代CM曲で聴いた人も居るはずです。ちわきまゆみさんとの二人ユニットとしてデビューしたMENUについてリーダーの星渉さんに、当時のシーンを知る上でも貴重な話を伺いました。

四方 宏明

執筆者:四方 宏明

テクノポップガイド

MENU解散後・・・

ガイド:
星さんはMENU解散後、音楽業界からは離れてしまうのですよね。星さんはデザインの勉強を多摩美でしていたんで、そちらの方向へ行ったんでしょうか?

星:
いえ、主夫をしていました(笑)。デザイナーとしては『RE-FACE』のジャケットを自分でやっただけです。まずは子育てにハマってました(笑)。これは本当の話です。原マスミとMENUを聴かせて子守をしていましたよ(笑)。

そうしてMENU解散後もCMやビデオの音楽制作をしていたのですが、ある日突然、F1GPの魅力に目覚めてしまったんです! 1987年ですね。信じてもらえない人が多いのですが、これもホントの話ですよ。MENUの頃から、自分としては圧倒的なパワーのある音楽を指向していたんですが、F1 を生で体験してしまった時、「これは僕が経験した中で最高峰のパワフルな存在だ!」とショックを受けてしまったんです。F1に打ちのめされ、惹かれてしまったんですね。で、音楽を封印しちゃったんです。自分でもビックリでしたけど、音楽機材の一切合切を押し入れに仕舞っちゃいました。その後、詳しく話すと長くなりますけど、実際にF1を仕事にしちゃう程でしたよ。2002年までF1関連の仕事をしていました。

ガイド:
解散後、または現在もちわきさんや他のLe Menuのメンバーとの繋がりはあるんでしょうか?

星:
いや、今話したように子育てとF1にのめり込んで音楽活動を凍結してからは一切交流はありませんでしたね。音楽を聴くことすらしない生活が続いていましたから(笑)。
でも、去年(2006年)、20年ぶりに京極輝男と鈴木正美に会いましたよ。正美はまだDe-LAXで活動していますから、刺激を受けたくなったんですね。ちわきとも会いたいなと思っています。そう、僕もまだどういう形になるかはわかりませんが、20年ぶりに音楽をやりたくなってきたんですね。

ガイド:
ユピテルの倒産という不運もあっただけに、MENUのサイトを見て、MENUというバンドがちゃんと評価されるきっかけになったらいいなと思います。僕自身もサイトを見て、MENUというバンドが深く記憶に刻まれました。

星:
ありがとうございます。先ほど言いましたように、僕自身は単なる好奇心でサイトを立ち上げたワケですが、反響の多さに驚き、コレはしっかりした情報を載せないといけないなという使命感も芽生えました。そうして過去の未発表音源などを網羅するほどに、肝心の公式音源が無い、公開できない、入手できないということにジレンマを感じています。手前味噌ですが、レコードとして発表した楽曲・サウンドのクオリティにはそれなりの自信と自負がありますからね。

MENUが世に出た当時は、ちわきの強烈なキャラクターだけが一人歩きしてしまい、音楽的に正当に評価されることが少なかったと思います。

このサイト立ち上げを機会として、なんとかMENUの正規レコーディング音源を再発表できるように頑張りたいと思います。サイトの方も、順次内容を更新していきますので、みなさん、これからもよろしくお願いします。

MENU WebSite
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