早すぎたガーリー

やっぱり、徐々に確立されてきたのではないでしょうか。幸宏さんに出会った頃に言われたのですが、「スーザンは何色にもなれて、色がない。少しは色がつくよ」という言葉を覚えているんです。2枚目に関しては色がつくようになったのかしら。ヴォーカルのバランスもちょっと上げてもらいたいと。2枚目のアルバムの後に出したシングルは、うーん、やりすぎって感じで今聴くと恥ずかしい。どんどん、そうなっていると思いますよ。これは、10年ぐらい引きずりました。

あれは、細野さんがしまっていたのを出してくれたのです。でもね、あれ、ライヴとかで歌った時に難しいの。聴き取れないのですよ歌詞が・・・(で、歌っていただく)今の宇多田ヒカルさんのようにアハ、イヒを発音していたんですよ。
当時を振り返る
――1981年の3月13日にツバキハウスでライヴをされていますね。これ以外にライヴはされたのでしょうか?ツバキハウスでは多分2回。渋谷パルコの壁画、1か月位私の絵だったからその前でEXといっしょにやりました。インクスティックをかわきりにひとりぼっちの全国ツアーもしたんです。横浜の氷川丸という船でもやりました、ロケットの川嶋と浅田さんと。
それから、大村さんが参加した最初のライヴでインタヴューされたのを覚えています。インタヴュアーに「みんな、大村さんを見に来ているんだけど、それで君はいいの?」って聞かれて・・・私は「はぁ~」って感じで。でも、大村さん応援してくれたんですよね。
――でも、その頃、スーザンさんのファンは多かったと思いますけどね。多かったというのは、当時分からなかったですが、インターネットをやるようになってからスーザンさんが好きな人が結構いる事が分かったんです。
ありがとうございます。当時、そんなに出ていませんでしたから、かえって好きでいてくれたのかも。
――1981年9月22日の坂本龍一さんのサウンドストリートにもゲスト出演されていますね。聴いた覚えはあるんですが・・・
あまり、覚えていませんね(笑)。スネークマン・ショーみたいなので、幸宏さんとかと架空の人として出たのは覚えていますね。

これはCM先行だったと思います。でも、CFには出ていないですね。

これも本当はCM先行だったんですが、ぽしゃったんです。サンディーに差し替えになったのです。