70年代レゲエフォークから
【先生】そうですね、ニューウェイヴの流れになるとかなり、日本のシーンと海外のシーンがシンクロしますが、やはりニューミュージック研究家としては、まず70年代のフォーク~シティポップの流れで話して頂きましょう。先ず押さえるべきなのは?【山本】個人的な愛聴曲の紹介になってしまいますが、南こうせつ「たぬき囃子」〔『今日は雨』(1976年)に収録〕と、小室等『愛よこんにちは』〔『明日』(1975年)に収録〕の二曲がオススメです。
前者は、レゲエの歌謡的曲解の珍品として。やってることはレゲエで間違いないと思うんですが、聴いているとどうしても違和感を感じるんですよ。アフター・ビートも刻んでるし、それらしいコーラスも入ってるし、ギターとオルガンもグルーヴ感を醸し出しているはずなんですが・・・でも気持ち悪い。その気持ち悪さがなぜだか良い。なんなんでしょうね。
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後者は、レゲエの歌謡的昇華の逸品として。これは普通に良くできたスウィート・レゲエで、実に美しいメロディーを持ってます。デュエットしている大貫妙子の澄んだ声が見事にはまった名曲ですね。 でも、本当に押さえるべき傑作は80年代に控えてるんですよ。その話は、のちほど。
【先生】イメージとしては二人とも、フォークシンガーですね。まず、レゲエ歌謡という視点がなければ、買わないタイプの。じゃ、はっぴいえんどとかの日本語ロック~シティポップの系譜上では、70年代のレゲエ歌謡はあったのでしょうか?
【山本】ウェストコースト・ロックの隆盛に伴い、邦楽界では1975年辺りから、アメリカ西海岸での録音が流行し始めます。ブームは1977年に頂点に達し、アメリカ詣でを敢行するか、あるいはウェストコースト・サウンドを標榜した日本語ロック~シティポップ作品が急増します。クラプトン/ボブ・マーリィによって紹介されたレゲエが、西海岸のスタジオ・ミュージシャンたちの間に浸透した時期と重なるんですよね。 この頃に、日本に"正しい"レゲエが導入されていったのだと私は考えます。本場のウェストコースト・サウンドを貪欲に吸収していった日本のミュージシャンたちが、演奏法としてのレゲエを学んでいったのではないかな、と。
【先生】この頃、人並みにウェストコースト・ロックも聴いていた記憶がありますが、ニューウェイヴ体験後に記憶が吹っ飛んだ感じです。ニール・ヤングとかは変でしたが。と言う事は、レゲエ風ウェストコースト・ロックも掘れば出てくるんでしょうね。で、日本に戻ると?
【山本】日本を代表するウェストコースト・サウンド・バンドとして、ラスト・ショーというグループがいまして、彼らが演奏を担当したレゲエ歌謡を二つ紹介したいと思います。 堀内孝雄「天使の寝顔」〔『忘れかけていたラブソング』(1977年)に収録〕と丸山圭子「雨の舗道」〔『春しぐれ』(1977年)に収録〕です。 両者ともレゲエとは縁もゆかりもなさそうで、実際その音を聞いてみると、基本的にはシティポップであり、レゲエ的な音は味付け程度にしか付加されてはいません。しかし、この時期のウェストコースト・ロックとレゲエ歌謡の関係を考えると、非常に興味深い作品ではあります。