Shi-Shonenとしてデビュー
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それは、僕が大学時代にやっていた、今で言う宅録のプロジェクト名ですね。だから、メンバーは僕一人。シンセサイザーで作った曲をコンテストに送っていたと思います。
――Shi-Shonenとしてのコロンビア内のShan‐Shanからのデビュー・シングルは『嗚呼上々』(1983年)ですが、この時期は、曲タイトル、サウンドともに、前のバンド名のイメージをもつ、どこかノスタルジックでアジア大陸的なエキゾ・ポップですね。やはり、アジア的なものにこだわっていたのでしょうか?
そうですね。僕は、YMOというよりも、当時、教授の『千のナイフ』とかのサウンドが、とても好きでしたから、その辺からの影響はあったでしょうね。
Non-StandardのShi-Shonen
amazon.co.jpにあるCDは、ジャケ写からリンクできます。(amazon.co.jpにない場合、海外のamazonや他の通販サイトへ)
ノン・スタンダードも\ENにしても、回りから見ているほど、アーティスト同士の繋がりは無いですしね(笑)。
――リスナーからすると、一つの共同体のようにとらえていますけどね。
友達は、あんまりいなかったですね(笑)。仲間意識はあるけど、ライヴァル意識もあると。
――60年代~70年代的ポップの構造を持ちながらも、テクノポップという、現在の音楽シーンで若い人たちがやっている事とも通じる内容ですが、何か具体的にShi-Shonenとして目指していたものはあったのでしょうか?
24歳ごろから35歳まで、ずっとスタジオにこもって曲を作っているんですよね。コンセプトを考える時間は、アルバムを作っている時間の100分の1ぐらいなんです。100分の99は、その時にやりたかった事をやっていたという事ですね。