〔吉野〕 話は脱線します。とんでもない所で話題になってますが(笑)、バンド名の由来を教えてください。
〔三島〕 政治的な意図はなかったですね。聴けば明らかでしょうけど。「いまさら」というのはいつでも新しく始められるように用意しました。当時「テクノス」が解散したばかりなのに、同じメンバーですぐ再開したんです。安易なエスタブリッシュメントを目指すのではなく「徒労にかける」みたいなことだと思います。
「イスラエル」はバンシーズの曲名ですね。もちろん語感とかイスラエルのイメージが持っている異国趣味みたいなものはありますけど。どちらかといえば純粋想像力の世界ですね。何かの表現ではなく表現それ自体の方法とその世界観が問題になるような。そういうものの商標だと思います。
〔吉野〕 他、当時を思いだして何か・・・。
〔三島〕 『タピエスボーナス』の初めの二曲は、八月アルバム録音終了後、当時埼玉かどこかのストラストフィア・レーベルから、オムニバス参加のため作りました。レコードは結局実現せず、マスターテープも戻らなかった。何回か手紙書いたのに。手元にはコピーしかなく残念でした。
歌詞は友人のみどりさんが中学生時代に書いたものを改作。それで題名が『唐突にグリーン』。よく出来た二曲でした。演奏は殆ど仙人さんと二人です。リードも仙人さん。頼りにしてました。なんでも出来て、親切でした。ジャンルは違っても、制作の興味で一致してました。
〔吉野〕 仙人さんと言えば、札幌のグランドキャバレー「エンペラー」の専属歌手をしながら北大水産学部の学生をしてた、伝説の方ですよね。長髪・レイバンのサングラスで、ハードロック一本槍かと思いきやニューウェイヴにも詳しい、と言う。(現在の消息をご存知の方は吉野に御一報お願いします)ああいうジャンルを超えた方も、札幌ならではだと思います。
ところで、当時、イスラエルのライヴ活動は?? 三島さんというと、リーダーなのにステージに上がらないという伝説があるんですが・・・。
〔三島〕 『タピエス』の頃、二回ライブやりました。8月の駅裏と11月のすすきのの新しいライブバーみたいなとこ。8月はシチュエーションズとのカセットブック完成記念なのに、もう『タピエス』が完成していた!メンバーも仙人さん以外全員変わっていた
! 背景に私の描いてた未完成の大きな絵を何枚も置きました。
11月のライブはお店の方に、ビデオ撮影して貰いました。その人は、私が最初にリズムマシーンのスイッチ押すだけなのをみて「自分で撮ったら?」と真顔で言ってたな。でもそうしなかったのが悔やまれます。しかし珍しい映像です。
〔吉野〕 どうも、三島さんのお話を聴くと、当時のVoの米田さんは、相当、イスラエルに影響を与えたように思います。一部のメディアには、イスラエルは「Voが変っても声質が変らない驚異のバンド」と紹介されてます。
多分、三島さんの頭の中にはある「理想のVoイメー ジ」が存在し、Voの歌い方、イコライジングをそのイメージにあわせてエディットしていっていると推測しています。 (僕も、女性Voにはエフェクトをメチャクチャにかけて、「誰が歌っても同じような声」にしてしまうんです)
〔三島〕 多分そんな感じだと思います。声は非常に大切ですね。ただ唄い方は、みんな私の唄を聴いて覚えるので同じになるんだと思います。色々なパラメーターをいじっても、機嫌よく自然に楽しそうに唄ってる感じを出すのは難しいと思います。自然を採集するのではなく作り出すことが、要なんですが色々な作り方がありますからね。確かに素晴らしい声の存在をみつけることが一番でしょう。
私はエフェクトで声を変えたりはしてないと思います。自然とかありのままなんていうのも、微妙ですけどね。でもずっと聴いていたい様ないい声の人がいるんだからどうしようもないですよ。ただ私にはいまさらのアルバムはみんな違って聞えます。多分あまりよく聴いてないんじゃないかな。みんな同じなんてそっちの方が難しいでしょうね。