――最初のスネークマン・ショーは、アメリカ的な背景があるんですけど、ラジオではなくて『増殖』から入ったリスナーにとって、スネークマン・ショーは、どちらかと言えば、アメリカというよりもイギリスというか、パンクの後のような気がするんですが。スネークマン・ショーは、やはりアメリカ的なものから変わっていったというのがあるんでしょうか?
もともとは、アメリカの50年代の音楽、ドゥー・ワップ・ミュージック。自分が16歳くらいからR&B、今のR&Bではなくって、R&Bにすごく入っていって、とにかく新しい曲を聴きたくて、新しいステップを覚えたくて夜遊びしてたんです。だから僕にはブラック・ミュージックの方がディープなんです。その後、ロックが始まって「Rolling Stone」に参加し…。で、その後の衝撃はやっぱりパンクですよね。一時番組休止中のたしか75年くらいだったと思うんですが、サンフランシスコの友人の所に遊びにいった時も、その兆しはあったんですが。
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――それで、実際にPistolsとかMalcolm McLarenには会えなかったのですか?
全然、話になんない。だから、その後に、実際にポートベローのホテルでMalcolmに会った時、彼が契約書をそのへんのナプキンに書くから(笑)とか、そういうことができるようになるとは、その時はぜんぜん思わなかったからね。日本ではまだまだでしたけど、ロンドンの街はパンク一色だったですね。そのパンクの凄い経験があったから、スネークマン・ショーを結果的にがらっと変えていっちゃうんですね。ロンドンから持って帰った曲をかけたくってしょうがない訳ですからね。勢いというか。それで、表現がどんどん破壊的な方向に向かうんです。

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