俺の後ろで妙な音を鳴らすな
マイルス・デイヴィス『マイルス・デイヴィス・アンド・ザ・モダン・ジャズ・ジャイアンツ』 1954年12月24日のマラソン・セッションと56年の録音を合わせて発売したもの。56年の録音にはポール・チェンバース(b)らが参加。モンクがソロを中断し、マイルスがあおったという問題の「ザ・マン・アイ・ラブ」はtake2として収録されている。 |
それは、自分のトランペットソロの間、ピアノの伴奏を止めてほしい、という要求でした。この要求そのものは、音楽的におかしなことでも何でもありません。マイルスは自伝の中でも、その後のモード奏法への展開も視野にいれ、ベース、ドラムだけでグルーヴさせ、ピアノのない空間で演奏することを試していた時期だったと述懐しています。
演奏が始まり、マイルスのソロ。モンクはバッキングをしていません。この時点でも、その気で聞いていると微妙な空気が流れているのですが(笑)、その後、モンクのソロに入ると、何とモンクはソロを途中で辞めてしまいます。あせるマイルス。トランペットのあおりフレーズで何とかピアノソロに戻れと指示を出したところ、再びピアノを弾き始めたモンクは、それこそ鬼神のようなソロプレイを始めます。
ウソ? ホント?
これがかの有名な「マイルス、モンクのクリスマス“喧嘩”セッション」の言い伝え(笑)です。プレスティッジレーベル社長、ボブ・ワインストックの切なる希望によって実現した二人の共演は、この後二度と実現されなかったことから、二人の喧嘩による不仲はまことしやかに伝えられてきました。一方で、モンクはその後のインタビューで、マイルスは自伝の中で不仲説をきっぱり否定しています。マイルスいわく、音楽家がアレンジで意見を交し合うのは当たり前のことだ、とのこと。しかし同じ自伝の中で、車中で喧嘩したモンクを道の途中で置き去りにしてやったんだ、そんときはあいつが悪かったんだぜ、なんてエピソードも開陳しているマイルス。どっちなんだ。
モンクはモンクでいつもどおり、質問者を煙に巻く答えしかしていないので、どうも真相は藪の中。問題の「ザ・マン・アイ・ラブ」のソロにしても、自身のアルバムでさえ謎の休符が多いモンクの演奏。ライブではソロ中にピアノ立ち上がって踊り始めることも珍しくなかったモンクですから、気分を害した証拠とはいえない。
ともあれ、少なくともマイルスは先輩モンクの音楽性に高い敬意を払っており、モンクの楽曲を好んで演奏しています。一方で相手がマイルスであろうが誰だろうが、お構いなしに自分の我を押し通したモンクの心中を凡人が推し量るのは難しいようにも思われます。
結局のところ、信じるか信じないかはあなた次第、ということですね。
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