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その5 MIDI的音楽観とジャズの未来(2ページ目)

シリーズ「ジャズ鑑賞のWhere & How」。第5回はMIDIの登場によって変容した音楽観と、ジャズの行方について考える。

執筆者:鳥居 直介

音韻情報としてのMIDIデータ

MIDIがジャズにもたらしたものとは何か?

ここでもう一度、MIDIがデータ化できる音楽情報を整理してみよう。

・音程
・音の長さ
・音量
・アーティキュレーション(ピッチベンド、ビブラート、クレッシェンド・デクレッシェンドその他)
・音色

このうち、最後に示した「音色」については少し注釈が必要だ。通常、「おんしょく」あるいは「ねいろ」といった場合、その楽器、あるいは特定の楽器を特定の奏者が演奏した場合の、固有の表情を指すことになっている。

しかし、MIDIの場合の「音色」は少し事情が異なる。MIDIデータ上で指示できるのは、あらかじめ定められた規格(GMという)番号だけ。実際にどのような音色が再生されるかは、MIDIデータを受け取る音源によって最終的に決定することになる。

つまり、MIDI情報は、音色を「選ぶ」ことはできても、その内容まではコントロールできないということである。このことを言い換えると、MIDI情報とは音韻情報のみのデータであり、音響情報は基本的に含まれていないということができる(※)。

※これはMIDIのお話で、音楽のデジタル化ということでは、サンプラーの登場が、この壁を破っていると言えなくはない。が、それは別の話。

つまり、MIDIとは、音楽から音響情報のみを外してデータ化したものということができる。この「音響情報が欠落したデータ化」というものが、それまでになかった音楽の捉え方を産み出した、と僕は見ている。

MIDIがジャズにもたらしたもの

楽譜に比べて細かな情報を容易にデータ化できることや、MIDI機器をリアルタイムで演奏することで、生演奏を簡単にデータ化、数値化できてしまうことも、MIDIが音楽にもたらした大きな革命といえる。しかし、ことジャズということで言うなら、MIDIの最大の衝撃は、「音楽とは記述され、分析されうるものである」という、新しい音楽観が台頭したことだと僕は考えている。 デジタル化、データ化が可能になったものは、原則的に再現可能ということになる。

つまり、チャーリー・パーカーやジョン・コルトレーンの演奏ですら、MIDI情報レベルではすべて再現可能なものである、ということだ。

このことが、MIDI時代を生きるミュージシャンにもたらした恩恵は大きいと思う。音響情報が欠けていても、その演奏が和声、メロディ、リズム、アーティキュレーションのレベルで「何をやっているか」は一目瞭然となる。

同じく「音楽のデータ化」の一形態である楽譜とは比べ物にならないくらい、細かなニュアンスまでがデジタル化されるようになった結果、僕たちは、かつてのミュージシャンがかけてきたよりもはるかに少ない労力で、和声やフレージングを学ぶことができるようになった。かつては理解の外であって天才たちのフレージングが、少なくとも頭では理解できるようになったのだ。

しかし、そのことは恩恵と同時に、危険な「錯覚」を産み出した。「MIDI情報レベルではすべて再現可能なものである」という音楽観から、次第に「MIDI情報レベルでは」という注釈が外れ、「すべての音楽はデータ化されうる」という思想へとつながる。このあたりは、「いずれすべての生命体がDNAレベルで記述される」という類の妄想と相似的だ。

とまれ、そうした思想は、「音楽はデータ化されうるものであり、そのデータをなぞることさえできれば、すべての人が、あらゆる音楽を演奏できる(はずである)」という意識に直結する。

これが、MIDIがもたらした、大きな音楽観の変革であり、ジャズのような「創造性」を本義としてきた音楽にとって、世界観を揺さぶるような出来事だったといえるのではないかと私は考える。

次ページでは、MIDI時代のジャズが持つ可能性を検証!
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