<ライブインフォメーション欄の見方>
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今月のPick Up Artist! 大西順子(p)復帰?
大西順子『セルフ・ポートレイト』 大西順子唯一のベスト版。強烈なハードタッチ、黒人的なグルーヴ感、そして繊細さ。才能あるミュージシャンは多くの矛盾した要素を同時に実現させる。大西順子入門の一枚。 |
しかしニュースは本当でした。2005年4月5日(火)に大野俊三(tp)の帰国ツアーのメンバーとして吉祥寺サムタイムに登場。その後も本格的な活動再開に逡巡はあったようですが、このたび、12月6日(火)、新宿Dugに登場することが決まりました。一説によると、このライブを最後に再び活動を休止するという噂も(涙)。これは聞き逃せません!
■大西順子(p)@新宿「Dug」
7年の沈黙を破り活動再開した日本人ジャズピアニストの女王・大西順子が新宿「Dug」に登場!
【出演者】 大西順子(p) 、俵山昌之(b)、本田珠也 (ds)
【日程/会場】 2005年12月6日(火)/Dug(新宿)
【チャージ】4,700円
【問い合わせ】 →Dug
大西順子って誰?
ここ最近ジャズを聴き始めた方は「大西順子って誰?」状態かもしれません。しかし、92年のデビュー当時、23歳の大西がジャズ界に与えた衝撃は、現在の上原ひろみ(p)以上のものがありました。まだ若手女性ジャズミュージシャンが珍しい存在であり、また本格派ミュージシャンが大手レーベルからそっぽを向かれていた当時、大西は大手中の大手である東芝EMIから売り出された「紛れもないホンモノ女性アーティスト」だったのです。
これは、大西のビジュアル面、言動(寡黙)の格好良さ、全体から発散するスターとしてのオーラに商品価値を認めた東芝EMIの慧眼を評価してよいところでしょう。商業主義とアートが幸福な握手を交わした瞬間といえます。
いずれにしても、大西順子の存在感は、性別を超えて、1人のミュージシャンとして大きなインパクトを持っていました。活動再開を1人のファンとして非常に喜んでいます。願わくば今後も、マイペースで活動していただければ、と。
■大西順子トリオ『WOW』
大西順子トリオ『WOW』 92年録音の大西順子衝撃のデビュー作。日本人離れしたファンキーさ。性別に関わらずこれほど「真っ黒」な演奏をする日本人はあまり例がなかった。 1.ザ・ジャングラー 2.ロッキン・イン・リズム、ほか |
ただ当時の評論誌が、「強力なタッチ」「パワーにあふれたブロックコード」といった「男勝り」的フレームワークで彼女を評論しようとしていたことには違和感を感じる。
彼女がやったことは、男性的な演奏ではなく、徹底的に「黒い」演奏だった。日本人だって黒い演奏ができるんだ、ということを私は大西順子で知ったのだ。もちろん、黒い演奏ができる日本人は彼女以前にたくさんいたのだけれど、そのことを「既成事実」にしたのは彼女の手柄だったのではないか。私はそう考えている。
■大西順子トリオ『ビレッジ・バンガードII』
大西順子トリオ『ビレッジ・バンガードII』 94年5月の米国「ヴィレッジ・ヴァンガード」での演奏を収録。若干25歳の日本人女性が1週間リーダー出演するということで、日本のみならず米国のジャズ界でも大きな話題となった。 1.ハウス・オブ・ブルー・ライツ 2.ネヴァー・レット・ミー・ゴー 3.ブリリアント・コーナーズ 4.りんご追分 5.ティー・フォー・トゥー |
■大西順子『ピアノ・クインテット・スイート』
大西順子『ピアノ・クインテット・スイート』 95年7月録音。スタジオ録音ではもっとも評判のいい一枚。サックスの林栄一が参加したワールドワイドなメンバーによるクインテット。 1.ピアノ・クインテット・スイート 2.ペギーズ・ブルー・スカイライト 3.インタールード1、ほか |
大西の音楽に影響を与えたミュージシャンとしては、セロニアス・モンク、デューク・エリントンらが上げられることが多いが、本作で2曲採り上げられたチャールス・ミンガスも、大西の音楽観を形作った重要なミュージシャンであることが示唆される。
■大西順子『フラジャイル』
個人的にはさほど好みの作品ではないけれど、アーティストである大西順子の実見精神が十分にかいま見られる作品。「この後どうなっていくのだろう?」という好奇心がそそられる雰囲気はあった。
活動中止には無論プライベートな事情が多くかかわってきたのだろうけれど、大西の取ろうとしたアーティスティックな方向性への舵取りが、東芝EMIの販売戦略と相容れなかったといううわさ話も十分に説得力がある。
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