●就職~会社時代
リクルートをしていた頃、奇遇にも大家さん(元・農水省次官)からJRAへの就職を薦められましたが、丁重にお断りしました。最終的に松下電器産業株式会社に入社。今思い起こせば、そこで寮仲間から競馬を本格的に教えこまれたのが、競馬業界へのプロローグとなりました。
その時に見た『競馬ブック』のデータに興味をもち、統計解析。そこで的中と黒字パターンを発見したのです。それが面白くなって、週末には京都競馬場と難波WINSに出かけ、1Rから12Rの単勝パーフェクト的中を達成したりしました。けっこー儲かって、仲間からは“競馬の天才”の称号をもらいましたが、その後は元来の真面目な性格で仕事一筋へ。
海外マーケティング部で、商品企画、販売管理、営業、海外工場運営、市場調査、国際協調業務、生産管理、販売促進業務、出荷業務、英会話講師、労組部長などをほとんど同時に担当し、一人で10人分以上の仕事をこなしていましたが、慢性疲労症候群となり休職・・28歳のことです。
●そして競馬業界
そんな時、NIFTYでパソコン通信を体験。そして、BBSなどを通じ競馬で借金苦に陥っている人が大勢いることを知り、そんな人々を救うべく無料予想を1994年から始めました。これが、ギャンブルに「さよなら」をしていただくための『ROSE HORSE RACING』の原形となります。
1996年には競馬指数研究の集大成として、現存する競馬の指数の中で最強と思える約40のオリジナル指数を開発。(計算式を通しイメージを指数に置き換えることが得意です)無料予想で喜んでいただいてましたが、某予想会社の妨害でパソコン通信を不能にされてしまい・・。
そんな仕打ちにもめげず、次に予想ソフトの企画・開発を手掛ました。そして生れた“スーパーギャロップ”“パーフェクト競馬”(by MYCOM)という2つのソフトを全国発売しました。それが発端となり、時間も圧迫されてきたので、販売に専念するため独立を決心・・1999年(37歳)・・ここが人生の大きな転機となったのでした。
が、ようやく軌道に乗った頃、またもや問題が起ります。ソフトの著作権を某社から一方的に独占されてしまったのです。無念ではありましたが、企業との戦いに勝てるはずもなく、涙を飲んで著作権放棄。2000年5月、妻子を養うべく、HPを立ち上げメルマガ予想を有料化、現在に至る・・という感じですか・・まるで敗者復活戦のような人生です。
・・以上がこれまでの波乱万丈な経緯。
それでは、藤島式予想スタイルと現状について・・