政岡の美しさと、弾正の凄みと




この政岡が、自炊して鶴千代公と千松にご飯を食べさせる通称「飯炊き」の場面が有名だ。実際に茶道の作法を用いて米をとぎ、炊く。周囲で子供らが待ちわびている。その子らの相手をしながら、政岡の手元は常に動いている。
「早く食べさせてやりたい」という思いは、これも古今東西、親として共通の思いだ。舞台の前面では子役が二人遊んでいて、奥で政岡がご飯を炊くという場面。これが実に興味深い。
政岡の食事作りの「所作」が、流れるように美しいのだ。眼もくらむような金襖の御殿の内、なのに不幸にも若当主は満足にご飯も食べられない。政岡はひらりと黒地に雪持竹と雀の柄の内掛けを脱ぎ、鮮やかな緋色の着付けでままを炊く。豪華な舞台や道具立てなのに、庶民的な作業という対比も面白い。と同時に、そうせねばならない政岡と子どもたちの事情が哀れを誘う。

美しい飯炊きの所作をうっとり見ていると、その後の無残な状況に胸を突かれる。
千松は、常日頃母から言われているため、鶴千代が毒入りの菓子に手をつける前に、自分がわざと行儀悪くも駆け寄って取って口にし、菓子の入った箱を蹴飛ばしてしまう。いったん箱から落ちた菓子を、鶴千代に食べさせることは、さすがの八汐もできないとの読みだ。

千松は、無礼を働いたように見せて鶴千代を助け、表向きは無礼を咎められて八汐に殺される。政岡としては、まさにこの瞬間のためにわが子を育ててきたとはいえ、目の前でこんなことが起ころうとは・・・。