一方で、栄之丞にしろ誰にしろ、誰かのいいなりになって傷つけなくてもいい人を平気で傷つけて、そんな自分が情けない、そんな境遇も哀しい。だから「いやになった」と八ツ橋が嘆いているととれることもある。この解釈では自分もろとも、栄之丞への気持ちもちょっとダウン気味である。
同じように、次郎左衛門の恐ろしい復讐も、もちろん振られたからという腹いせではなく、突然の、それも満座の中で恥をかかかされたことへの恨みと思えることが多い。これも、役者が変わればまたそこから想像されるものも変わることがある。役者によって見比べてみるのも歌舞伎の醍醐味の一つだ。
さて、この次郎左衛門のあばた面だが、初演の初代市川左団次の立派な顔を思い切って汚くしたのが売りのひとつだったという。初代中村吉右衛門が演じる際、孫である当代の二代目は、おじいちゃんの顔にあばたを描くのを手伝ったとか。
今月の歌舞伎座では次郎左衛門を松本幸四郎さん、八ツ橋を中村福助さんがつとめる。
ちなみに「籠釣瓶」というのは「水もたまらぬ=刀など斬れ味の良い」のしゃれだそうである。つるべがカゴ状になっていると水は確かにたまらない。
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