歌舞伎/歌舞伎関連情報

花魁はなぜ心変わりを?『籠釣瓶』 その2(4ページ目)

惚れる男、恥をかかされる男、恥をかかせた女、殺される女・・・この一つの事件を描いた演目の現代性にも驚いた。また、歌舞伎の女形の役の中でも大役中の大役、吉原の傾城・八ツ橋に注目。

執筆者:五十川 晶子

八ツ橋の気持ちも手に取るように描かれる。身請けは兵庫屋の商売にとってもめでたいこと。それをいまさら自分勝手にやめるなんてことができないのはわかっている。

「次郎左衛門さんが悪い人だとは思わないけれど、もともとそんなに惚れた相手ではない。これも商売のためと割り切って、いいお客だと相手をしていたはずなのに、いつのまにやら身請けということに。栄之丞にも隠してたわけじゃない。言いそびれてきただけ。だからといって栄之丞と今別れるのはつらい。あの人だって、いつも私がどれだけ世話をしてあげているかわかってるのかしら。それをおいて、『今ここで愛想尽かししてこい』なんて、よくも言えたわよ」・・・・かなり拡大解釈して言えばこんなことだったのかもしれない。

「わたしゃつくづくいやになりんした」
という台詞に注目だ。栄之丞へ義理だてるための芝居でもなく、次郎左衛門への嫌悪でもなく、栄之丞への未練でもなく、本人自身の身の上のやるせなさが漂っている。

これは八ツ橋を演じる役者によって、多少解釈が代わるのか、観る度に微妙に想像させるものが変わってくるのが面白い。

情人のために、いい人なのに次郎左衛門を満座でひどい目にあわせなくてはならないから「いやになった」のだな、と感じさせる場合がある。この場合は栄之丞への気持ちは変わらない。
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