●江戸と現代を自由に行き来するのは、歌舞伎役者だからなのか。
いや、ぶつぶつ言うのはやめておこう。
阿修羅城にしろ、弥次喜多にしろ、江戸と現代が何もこだわりなくいろいろな次元でいったり来りする。
それがあまりにも自然なのは、理由の一つに、染五郎や七之助という歌舞伎役者の存在が大きいはず。
それこそ常に歌舞伎の世界に身を置いている現代の役者という点で、「江戸と現代」を行ったりきたりしている生身の肉体だからじゃないかと想像する。無理がなくって、リアリティがある。これが結構な年齢の役者だとそうもいかないのだろうが、若い分時代の境目はまだまだ薄いし。
かつて歌舞伎役者がこぞって映画に登場していたころは、まさに忠臣蔵の由良之助など善玉の親分的な役につくのが本流だった。反対に、”新劇”の役者が悪玉に廻るという図式もあった(詳しくは『完本 チャンバラ時代劇講座』橋本治著をご覧ください)。
自由に時代を行き来する、ある意味で映像ならではの作品にも、いや、そういう作品こそ、若い歌舞伎役者でなければならない活躍の場があるのかもなあ、と思った次第です。
(さあ、これのどこがGW映画特集なのでしょうか。)
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