その『阿修羅城の瞳』の映画を観てきた。
なかなかの娯楽作品に仕上がっていて、二時間楽しんで満足満足。四国・金丸座をロケで使っていて、見物のちょんまげのエキストラがすし詰めで枡席に座っているから迫力十分。衣裳は舞台同様竹田団吾、音楽はアニメ『攻殻機動隊』でもおなじみの菅野ようこというのもうれしい。
巨大な宮沢りえの阿修羅像が黄金に輝いていて「うわ」と思いながらも、染五郎と渡辺篤郎の火花飛び散る立ち回りは見応えあり。『陰陽師』と同じ滝田洋一郎監督は、古典芸能の役者と映像の組み合わせ、そして時代劇に妖しさをぶち込むノウハウと見せ方を知っている監督だ。
しかし舞台にしろ、映画にしろ、染五郎演じるこのヒーロー、病葉出雲(わくらばいずも、と読む)は、歌舞伎役者・市川染五郎が演じるのにピッタリの役。立ち回りや着物さばき、所作はもちろん安心して見ていられるわけだが、腕の立つ色男、そして謎めいた過去があり、それらひっくるめて、役者という商売に昇華している男、出雲。どこまでが自分でどこからが自分でないのか、その境目がどこまでもわからない。そんな人間が"表"の職業として選ぶには、役者ってあまりにもピッタリではないか。
(しかし、この江戸のそろそろ末期といえる時代を背景にした舞台やら映画やらいろいろあるが、鶴屋南北が出てくることが案外多い。百鬼夜行の跋扈する江戸の闇すら牛耳る、得体の知れない狂言作者として、”使いたい”役どころなのだろう。でもどうしてもどこか過剰な演技というか、創り手側の思い入れというか、納得できない南北像が多いのもたしか。今回の小日向文世の南北は、過剰な中に妙にリアリティがあって好感! →じゃあ、てめえが本当の南北をいつ見たんだ、と一応は反省)
2003年舞台のパンフレットは超豪華版 |
市川染五郎といえば、いまや古典の歌舞伎では義太夫狂言や舞踊、世話ものに新作はもちろん、乗りに乗っている若手役者の代表株。劇団☆新感線との舞台も、まるで10年前から劇団員のように、自然に溶け込み、そして異彩を放っていたっけ。
あーあ、映画を観るとまた「新感線&染五郎」の舞台を観たくなったのだった。