近藤勇が見たかもしれない忠臣蔵
新選組といえばダンダラ模様の袖。ダンダラ模様の袖に揃いの衣裳といえば歌舞伎では『忠臣蔵』だ。大河ドラマ『新選組!』では近藤は忠臣蔵が「大好き」という近藤勇のせりふもあったが、真相やいかに?
●ダンダラの袖模様の隊服の秘密は?
子母澤寛『新選組始末記』によると、新選組はしばらくの間は貧乏所帯だった。局長の芹沢が隊士を連れて大坂・鴻池から二百両を借り、大丸呉服店で羽織を作らせたとある。
浅黄の地にダンダラを染め抜いて赤穂義士の討入りのようなものだったとある。新選組のシンボルともいえる隊服の誕生だ。
そこに近藤の意思がどのくらい介在したかはわからない。だが、局長同士、芹沢と近藤の意見が一致したことには変わりないだろう。
「芹沢さん、それはあまりにもベタ過ぎです。かっこ悪いからやめときましょうよ」。近藤は、そんなふうに言うタイプではない!(と思う)
だが残念ながら、元禄の世を轟かせた赤穂浪士たちによる吉良邸討入り事件では、浪士たちはダンダラを染め抜いたおそろいの制服は着ていなかったとも言われる。元禄の世を象徴するように、討入りとしてはそれぞれ派手な衣服ではあったようだが、今芝居やドラマで必ず見られる黒地に白のダンダラ模様の羽織ではなかった。
赤穂の事件から8年後、大坂の芝居小屋では『鬼鹿毛無佐志鐙(おにかげむさしあぶみ)』という、赤穂浪士を題材とした芝居が行われていた。そこである役者が黒と白の山形模様の討入り姿を工夫しているという。これがさらに38年後の人形浄瑠璃での『仮名手本忠臣蔵』の初演の人形の衣裳に取り入れられたとされている。
新選組ファンのバイブル的存在 |
火消し大名から新選組へ。
江戸初期、幕府が大名に申し付けた大名火消しの組織があった。この時代、火消しの大名として名を馳せた人の中に、「浅野内匠頭長直」という名があるという。赤穂浪士事件のときの内匠頭長矩は彼の孫だ。
こんなことから、赤穂浪士→火事装束→芝居の衣裳に工夫→忠臣蔵の討入りといえばダンダラ模様→・・・・新選組へ? と考えられる。忠義を誓う集団の「戦」場には、あの「ダンダラ模様の衣裳」、だから隊服はそれしか考えられなかった。芹沢にしろ近藤にしろ、なんというかちょっとロマンチックな発想をもって隊服のデザインを考えた。
おそらく、二人とも、どこかで『仮名手本忠臣蔵(忠臣蔵)』を観ていたか、少なくとも錦絵くらいは目にしたであろう。