歌舞伎/歌舞伎関連情報

江戸東京博物館「市川團十郎と海老蔵」展(3ページ目)

5月11日~6月27日まで、江戸東京博物館の第2企画展として「市川團十郎と海老蔵展」が開催されています。同館の収蔵品のうち市川家ゆかりの錦絵、版本など貴重な資料を今だからこそ見ておきましょう。

執筆者:五十川 晶子

九代目 死んだ八代目は七代目の長男で、異母弟で五男であった少年は河原崎家へ養子に出されたが、八代目が自殺し、この少年が九代目を継いだ。
幕末から明治にかけ、さらに新政府の下でその権威と結びつきつつ、演劇改良運動の実践者として近代の舞台芸術を文字通りリードしていった存在である。
また、市川宗家の家の芸に磨きをかけ、「松羽目物」という新ジャンルを創始した。現行の『勧進帳』や『船弁慶』『紅葉狩』などがその代表的な作品である。
「活歴」という、史実に従った時代劇を歌舞伎に取り入れた。これは観客や他の役者に不評で、逆に九代目が懇意にした政治家や学者には好評であったという。歌舞伎は明治という時代と九代目という役者を通して大きい転換を迎えた。
明治36年(1903)に没する。



九代目市川團十郎『鏡獅子』 (1893年)国周画(6月展示)

十代目 九代目の女婿である。役者になったのは遅く、市川三升となり、没後に十代目が追贈された。長い間上演が途絶えていた歌舞伎十八番のうちの『解脱』『象引』などの復活を試みた。

十一代目 七代目松本幸四郎の長男で十代目の養子となる。昭和15年に市川海老蔵を襲名。以来、その美貌で「海老サマ」という愛称で非常な人気を得る。昭和37年に十一代目を襲名するが、3年後に没する。与三郎、『伽羅先代萩』の仁木弾正、『馬盥』の竹智光秀など時代物だけでなく世話物にも荒事にも優れ、新作歌舞伎にも意欲を示した。
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