人の眼の網の恐怖
継子を異国で死なせたとあれば、現地ではもちろんのこと、日本に帰っても「どのようなそしりを受けるか」というのは渚にとってかなり深刻な問題だったのではないでしょうか。前妻に対する潜在意識やプライドももちろんあったでしょうが。おそらく現代からは想像もつかないほど、封建社会の、人の眼の網に縛られた時代だったのでしょう。
「それならば自分が犠牲になるほうがまだましだ」というのが当時のひとつの「見識」だったかもしれません。ここまでさせる渚の意志の強さや決断の速さを見ていると、「そうせざるをえない」眼に見えない何物かの恐ろしさを感じてしまいます。
そう思うとちょっとゾッとするものがあります。喉を突き刺す刃よりも怖い人の眼。「美しい母と義理の娘の関係」じゃわいなあ、と出かかった涙もひっこむというもの。現代はそんな時代じゃなくてよかったなあと思い直すと案外そうでもない。似たような思いは現代人だって感じている。職場で、学校で、近所で・・・。だからやっぱり共感し、感動する。
でもさすがに自ら命を捨てるほどの「母」は、現実世界にはなかなかいないでしょう。いなかったのでしょう。みんな共感するけれど、芝居の中でしか存在しないスペシャルな母親を描ききったのが近松門左衛門。そのあたりの客の、特に女性の心理を皮肉とも思えるほどの感動の涙にくるみながらうまく描いているとも言えます。
歌舞伎には、母性とか、優しさとか、ありがちな母親ではない、強くて賢くてたくましい、そして哀しい運命の「母達」が登場します。伝統的な古いお芝居だから母親像も古いかというと意外に逆です。母も父も男も女もない、ギョッとするような人間描写が見られることがあるのが歌舞伎の懐の深いところです。
さて5月もあちこちで歌舞伎公演があります。歌舞伎座では團菊祭に襲名披露興行、国立劇場では前進座による『髪結新三』や近松座など。今年の母の日、お芝居をお母様と一緒に観に行くなんてのはいかがでしょう。
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