歌舞伎/歌舞伎関連情報

渚に政岡、相模に千代 歌舞伎の母達は強くて賢い。

歌舞伎に登場するいろいろな立場の、いろいろな性格の母達。時代は変わっても、母とは強く、賢く、ときに哀しい存在のようです。

執筆者:五十川 晶子

「母」のファンクション

歌舞伎の演目の中で「母」といえばどんな役を思いつくでしょう。カッコイイ立役や派手な敵役、麗しい傾城などに心奪われ、衣裳も化粧も地味目な母親達にはあまり関心がいかないかもしれません。でも歌舞伎、特に義太夫狂言に「母親」は重要なファンクションを担うことが多いのです。

ちょっと思いつくまま、印象に残る「母」とその演目をあげてみます。
「弁慶上使」の おわさ
「仮名手本忠臣蔵」六段目 おかや /九段目 戸無瀬(となせ)
「熊谷陣屋」相模(さがみ)
「妹背山」山の段(吉野川) 定高(さだか)
「奥州安達原」袖萩祭文 袖萩(そではぎ)
「盛綱陣屋」微妙(みみょう)
「桐一葉」淀君(よどぎみ)
「芦屋道満大内鑑」葛の葉(くずのは)
「恋女房染分手綱」重の井(しげのい)
「助六」満江(まんこう)
「菅原伝授手習鑑」寺子屋の段 千代(ちよ)
「伽羅先代萩」政岡(まさおか)
「摂州合邦辻」玉手(たまて)
「ひらかな盛衰記」延寿(えんじゅ) ・・・・あるわあるわ。

実の息子を夫に(勝手に)身代わりにされた相模。承知の上で身代わりにさせた千代。政岡。娘婿・早野勘平を夫殺しとなじるおかや。なさぬ仲の娘とその許婚に会いに行く戸無瀬。と、いろいろ立場は異なりますが、「母」であるからには「子」との関係がストーリー上重視されているわけです。つまり義太夫狂言---人形浄瑠璃を基にしたドラマの構成のしっかりした、そして人間が緻密に描かれている演目の中の「母達」の印象がどうしても強くなります。
封建制の世の中。ここに出てくる「母」達に主に共通するのは、「夫」あるいは「父」との関係、あるいは「夫達」が背負っている義理により、「母達」はその運命に巻き込まれてしまいがち。そしてその封建社会が前提であるドラマに、現代のわれわれ観客が、なぜか涙を誘われてしまうのです。

卑近な例ですが、以前私はよく母と観劇しました。その母も「伽羅先代萩」で息子をみすみす犠牲にさせるしかない政岡の場面に、いつも涙ぐむのです。隣には娘の私が座っており(それもかなりいい年をした)、もちろんちゃんと元気に生きているわけです、娘である私。それでも幼い亡骸を抱きしめる政岡に胸を締め付けられる思いなのだそうです。何度見ても「たまらん」という思いになるそうです。で、それはもちろん私にもわかります。お芝居の基本中の基本のテーマ、それは引き裂かれる親と子供。親より早く逝く子供。そこまでならありがちな話です。でも四百年の歴史の中で洗い上げられてきた歌舞伎ですからそうそう単純な「母達」ばかりではありません。



なさぬ仲の母と娘

歌舞伎には「母」と義理の娘の関係というひとつのパターンがあります。上記でいえば、「忠臣蔵」の戸無瀬と娘・小浪(こなみ)などもそうです。この戸無瀬は、小浪が義理の娘であるため、若く美しい母であってもおかしくない、つまり若い女形が演じられるという、興行サイドの事情や利点があったともいわれます。一方で、孫もいそうな老女形(ふけおやま)のかくしゃくとした老母達もいます。花車方(かしゃがた)といわれ、歌舞伎の役柄の一つで、年増あるいは老女の役です。

4月歌舞伎座昼の部で上演されている「国性爺合戦(こくせんやかっせん)」は近松門左衛門の時代浄瑠璃。ここでも母と義理の娘との関係が描かれています。和藤内の老いた母・渚(4月歌舞伎座では澤村田之助)は、元明国の臣下である夫・老一官とともに、明国再興のために祖国へ一家で移ります。
実は一官と先妻との間の娘・錦祥女は現在敵国の五常軍甘輝の妻となっています。甘輝は「明国再興に加担してもよいが、妻の願いを聞き入れてというのでは武人の恥」と、妻(錦祥女)を殺してから加担すると約束します。

「日本のまま母が三千里へだてたるもろこしの継子をにくんで見殺しにせしと我が身の恥ばかりかはあまねく口々に日本人は邪見なりと」と渚は、錦祥女の自害したいという願いに対して諭します。
目の前の若い娘が、夫とはいえ異国の武人に斬られそうになっている理不尽さを目の当たりにし、年老いた自分が、と体を張って助けようとしたのには本能的な理由もあるでしょう。
ですが錦祥女は結局自害し、それを見て渚は「この上に母がながらへては」と娘の剣をとり喉に突き立てます。明を滅ぼした韃靼を「母の敵、妻の敵と思えば討つに力あり」というのだから凄まじい覚悟。死にながら夫(老一官)や息子・和藤内、甘輝をすら鼓舞しているのです。
「母は死して諌めをなし、父はながらへ教訓せば」と、和藤内と甘輝が協力して明国を再興することを望みます。
こうなると、母や妻・娘の死に対して結果として無力だった男達が情けないというか、少々優柔不断に思えます。

この唖然とするほど豪胆な、迫力ある母親、渚よ、なぜにそこまでして。「昔の話だからこんなものなのか?」。いや、まさか。このなさぬ仲の(前妻の)娘への、一種ヒステリックともいえる母の意志。これはいったい何なのでしょうか。世間には嫁と姑のなんだかんだなんて掃いて捨てるほどあり、実の母娘でさえ憎悪しあうこともあるというのに、このモチベーションは何なのでしょう。
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