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演者の魅力を最大限に 近松先生がスゴい理由

「作者の氏神」と呼ばれる近松門左衛門っていったいどこがスゴイのか。その作品の魅力は何なのか。生誕350年で『国性爺合戦や『関八州繋馬』などが、この春次々と上演される。

執筆者:五十川 晶子

近松と『国性爺合戦』
近頃、「近松門左衛門」の名前をあちこちでよく見かける。つい3月末には大阪府の瀧安寺で、近松が書いたとみられる写経一巻が見つかった。一緒に坂田藤十郎ら同時代の歌舞伎役者らの署名も見つかるなど、近松生誕350年気分を盛り上げるニュースだった。
近松作品も次々上演されている。4月東京歌舞伎座では『国性爺合戦』、5、6月は国立劇場小劇場、南座にて、中村鴈治郎が主宰する近松座により『関八州繋馬』などが復活上演される。




4月の歌舞伎座では中村吉右衛門の和藤内(初役)で『国性爺合戦』が上演されている。この国性爺、正徳5年(1715)に人形浄瑠璃で竹本座において初演され、なんと足掛け3年17ヶ月のロングランだったという。
翌年には歌舞伎に移され、まずは京で、さらに翌年には江戸三座(中村座、市村座、森田座)で5月に一斉に上演している。市村座ではやはり5ヶ月間のロングランという成功を収めている。

もともとは1645年、明が韃靼に滅ぼされ、明の鄭成功が日本に亡命した事件に取材して、封建的世界を描いたのが始まりだ。
近松にかかると明の事件もこうなる。
かつて明の臣であった老一官と日本人の妻との間に生まれたのが和藤内。和でも唐でもないという意味らしい。舞台は肥前平戸。明の皇帝の妹・栴檀皇女が平戸へ逃げてきたところを和藤内に助けられるところから物語が始まる。老一官と和藤内、そして一官の妻をつれ明に渡り、一官の前妻との間の娘でありかつ敵国の将軍・甘輝の妻となっている錦祥女と親子の対面。金祥女と一官の妻は結局二人とも自害するが、和藤内と甘輝はともに韃靼をやぶり明の再興を図るというのがおおまかなストーリーだ。
和藤内のトラ退治はあるわ、なさぬ仲の親子の情愛場面あるわ、さらに華麗な舞台演出があるわ、華やかでスピーディーな立ち回りなど、見所満載の一幕だ。今回は特に、吉右衛門初役の和藤内の荒事が見物だ。

作者の氏神

近松といえば「日本のシェイクスピア」だとか、(←この言い方って、個人的にはどうかと思うのだが)、「作者の氏神」と言われるが、実は興行の世界にとってもまさに「氏神」にふさわしい作家だった。
ちょっと簡単に紹介すると、近松は1653~1724。元々は侍の子供であり、公家に使えたこともあるという。
1684年ごろ(貞享)大阪道頓堀で旗揚げしたばかりの竹本義太夫によって近松の『世継曽我』が語られ評判となる。また同じく近松作『出世景清』は、それまでの語り中心の浄瑠璃から、より演劇的な作劇法による新しい浄瑠璃への分岐点となる。語り物のための作品から、人形と太夫と三味線が三位一体となった、よりドラマチックな演劇としての人形浄瑠璃へと飛躍させたのが近松だったといえるだろう。ものすごく大げさに言えば、いわゆる「ドラマ」を日本演劇に本格的に登場せしめた立役者というべきか。

近松と坂田藤十郎

近松は人形浄瑠璃を大改革させたと共に、歌舞伎作者でもあった。
上方和事の名人・坂田藤十郎の名前を聞いたことのある人も多いだろう。菊池寛『藤十郎の恋』で有名な、芸の修行に熱心な元禄期の名優である。
この藤十郎の協力で、近松の能力は最大限に発揮された。そして藤十郎の魅力も近松により大きく開花したのだろう。この坂田藤十郎の名跡は中村鴈治郎が襲名する予定である。

役者本位といわれる歌舞伎の作劇法。ときに作者にわがままを言いがちな役者。名優・藤十郎ですら、あるいは藤十郎だからこそと言ったほうがいいだろうか。近松の腕を信じ藤十郎の芸を敬う二人だったのだろう。
この藤十郎と近松の名コンビで数々のヒット作が生まれる。元禄期、歌舞伎は最初の大きな花を咲かせる。

藤十郎没後、近松は人形浄瑠璃の世界に戻った。歌舞伎で得た人間の体による芝居とその作劇法を身につけ、浄瑠璃のドラマの世界へそこで培ったものを投入しつくした。竹本義太夫のために、実際の心中事件を基にした『曽根崎心中』を書き大当たり。傾きかけていた竹本座再建に一役買った。そして次第に人形浄瑠璃人気自体が歌舞伎にとってかわる。

近松がスターにした男

『国性爺』は近松の時代物浄瑠璃の最高傑作とされるが、実はこの作品で一挙にスターとなった男がいた。多くの先輩を差し置いて、義太夫の跡を継いだ竹本政太夫である。いわゆる「悪声」(低声)でありながら、地味だが義理と人情を語り分ける写実的な芸風を持っていたといわれる。
近松は政太夫をもりたてるために彼の芸風を生かした作品を書いた。そのひとつがスケールも雄大なこの『国性爺』。
大成功を収め、政太夫は名実、二代義太夫となったのである。近松が「氏神様」と呼ばれるのも納得だ。
逆にこの時期、歌舞伎は「あってなきがごとし」と言われるくらい、人形浄瑠璃の後追いばかりで下火となってしまう。もちろん当時の人々が求めるエンターテインメントが、歌舞伎より人形浄瑠璃の方がより「気分」だったからなのだろう。

近松作品には他にも『心中天の網島』『女殺油地獄』『平家女護島』『傾城反魂香』などが歌舞伎でもおなじみだ。封建時代の社会とそこに生きる近世の人間を生き生きと描いた近松だが、ときに内省的な、自我に目覚めたせりふや役柄が登場し、近代の萌芽すら見られることもある。

この春以降、近松作品の華麗な舞台に目を奪われるのもいいが、時には浄瑠璃や台詞に耳を澄ませ、近松が言葉で描いた人間模様をじっくり味わってみるというのはいかがだろう。

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