文章:五十川 晶子(All About「歌舞伎」旧ガイド)
もくじp1 狂言作者の起こり・歴史
p2 <現代の狂言作者>物を書
p3 <現代の狂言作者>舞台を造る
p4 <現代の狂言作者>舞台を進行させる
歌舞伎の狂言作者といえば、近松門左衛門、鶴屋南北、あるいは河竹黙阿弥という名が浮かぶ。これらの作者の演目は現代でもよく上演されるし、コクーン歌舞伎などで現代の演出家により上演されることもある。
狂言作者の起こり・歴史
ここで少し狂言作者の歴史を振り返ってみよう。江戸元禄期頃、歌舞伎はそれまでの売色を兼ねたレビューのような芸能から、政府の禁制をきっかけに、一定のストーリーを持った劇へと変化していく。多幕物など複雑な劇の構成を持つものも増え、その頃、上方では初世坂田藤十郎、江戸では初世市川団十郎が和事や荒事といった地域の特徴や伝統を下敷きに技芸を発展させていった。
狂言作者が一つの職掌として独立していったのもこの頃である。坂田藤十郎と組んだ近松門左衛門もこの頃の作者である。その後、初世桜田治助、初世並木五瓶らが登場し、時代時代の名優と共に歌舞伎を洗練させていった。
上方の写実風と江戸の綯い混ぜ(ないまぜ)等の特徴がやがて混ぜんとなり、文化文政時代に四世鶴屋南北という生世話(きぜわ)と呼ばれる市井の写実劇作家が登場する。幕末から明治にかけては河竹黙阿弥が七五調の美しい台詞で官能的な、音楽的な芝居を次々と生んでいく。
明治以降、欧化政策により、演劇改良運動の対象となった歌舞伎は、九世市川団十郎らにより「活歴」と呼ばれる新史劇が現われたが、やがて歌舞伎界の外部の文学者により歌舞伎脚本が執筆されるようになってきた。坪内逍遥を初めとし、岡本綺堂、岡鬼太郎、真山青果らがその代表的な存在であり、彼等の作品は現代でも既に新歌舞伎の古典として上演されることが多い。
現在でも歌舞伎座や国立劇場で新作歌舞伎は時々上演されているが、全体的には古典を上演することが多く、同時に狂言作者の位置付けも大きく変化してきている。