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ジャニーズの歴史を振り返る Part II ジャニーズ80'sの栄光

偉大な先輩ジャニーズ達の活躍を振り返る。第2回目の今回は80年代。

執筆者:小島 聡


1980年代のジャニーズを支えることになる高校1年生は山梨在住時からジャニーズ事務所のレッスンに通い、伝説的番組『3年B組金八先生』のいわゆるツッパリ役(沢村正治役)に抜擢、スター街道を歩む。田原俊彦である。歌番組全盛を迎えるこの時代に日本有線大賞新人賞、ゴールデン・アロー賞
音楽新人賞、日本レコード大賞アイドル賞、日本レコード大賞・金賞など多数の賞を獲得する。

ほぼ時期を同じくして近藤真彦も「スニーカーぶるーす」「ギンギラギンにさりげなく」「愚か者」などのヒットを飛ばし、日本レコード大賞、ゴールデンアロー賞などを獲得、野村義男も「きまぐれOne Way Boy」「涙のティーンエージブルース」などのヒットとともにレコード大賞新人賞などを獲得。

芸能史を見るときに、紅白歌合戦の出場記録が人気の一つの指標になるが、この二人のライバルは、長期にわたって連続出場記録を競い合う。田原は80年の「哀愁でいと」から7年連続、近藤は「ギンギラギンにさりげなく」から8年連続で出場する。フォーリーブスから数え30年間途切れずにジャニーズ事務所のタレントが出場しているところはジャニーズ事務所の力が示されるところだ。

田原、近藤の2大エンターテイナーを輩出した『3年B組金八先生』がジャニーズ80年代、アイドル全盛期のきっかけを作り出したといっても過言ではない。最高視聴率39.9%を誇るこの番組は『101回目のプロポーズ』36.7%よりも『HERO』の36.8%よりも高い最高視聴率記録を持つドラマで、社会的影響力も高い番組。この金八先生から、80年代初頭のジャニーズを代表するタレント3人、田原俊彦、近藤真彦、野村義男が輩出される。この人気3人の名前の一字づつをとって“たのきん(田野近)トリオ”と称され80年代初頭のジャニーズアイドル全盛期を確立しはじめる。

81年からは、薬丸裕英、本木雅弘、布川敏和が『2年B組仙八先生』に出演、シブがき隊を結成。ジャニーズアイドルのバラドル的要素を本格的に露出させはじめたのがシブがき隊だ。特にバラエティ番組のレギュラーを持っていたわけではないが、バラエティ番組や音楽番組へのゲスト出演の際のトークや雰囲気がバラエティ的なイメージとトレンドをミックスし、独自の境地を開拓していった。

後のSMAPやTOKIO、V6などのバラエティ的ルーツはここにあるのかもしれない。「歌、ドラマ、映画」のアイドルの正当な活動から「お笑い・バラエティ」という活動の可能性を世間に見せたユニットであった。「ZOKKON命」「アッパレ・フジヤマ」「スシ食いねぇ」などの楽曲名、たのきんトリオと比較して同性に人気があったこともこの事を裏付ける。
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