享年、53歳でした。
大浦みずきさん……なつめさん……なーちゃん……。
大浦みずきという舞台人が、男役が、トップスターが、上級生が、一人の女性が大好きでした。
そのなつめさんへの恩返しとして私が唯一できることは、大浦みずきさんの偉大さを宝塚ファンの皆様にお伝えし共有することと思い、記事を書こうと決意しましたが、あまりの辛さに、ガイドになったことをこれほど悔やんだ日はありません。
文章の上手いなつめさんに笑われちゃいますが、なつめさんへの思いをそのまま綴ります。
大浦みずきさんは1974年、60期生として宝塚歌劇団に入団。初舞台は来年再演もされる『虞美人』でした。
同期生には、元月組トップスター・剣幸さん、元雪組トップ娘役・遥くららさん、専科の磯野千尋さんらが。
雪組、星組を経て花組に組替え。
トップ・高汐 巴さんの二番手として活躍した後、1988年 『キス・ミー・ケイト』で花組トップスターに。
1989年にはトップとしてニューヨーク公演に参加。
1991年 『ヴェネチアの紋章』で退団。
退団後も舞台女優として、またアルゼンチンタンゴダンサーとしても活躍。
小説家、阪田寛夫さんのお嬢様なだけに文章もお上手。書籍も何冊か出版されました。
ミュージカル『ナイン THE MUSICAL』の演技において、第30回菊田一夫演劇賞、第13回読売演劇大賞優秀女優賞を受賞されました。
大浦みずきを語る上でまず誰もがお話しするのは、宝塚史上類まれなる名ダンサーであったということ。
ダンスの上手い生徒は今も昔も大勢います。
でも、私にとってのナンバー1は、大浦みずきさんです。
大きくて、伸びやかで、強くて、そして誰も真似のできない優雅さとセンス。
まさに、宝塚のフレッド・アステアでした。
『ジュテーム』の初恋、『メモアール・ド・パリ』のモンマルトルのカフェやパッツィの館、『ショー・アップ・ショー』の裏地チラチラのピーターガン……。
私たちも稽古場で、または舞台袖から、または舞台上で、なつめさんのあまりの素敵さに皆、うっとりと見つめていました。
ものすごく長身という方ではないのに、どこまでが手足?と感じるほど長く見えるテクニック。なつめさんの後ろで踊ると、その歩幅に付いて行けないものでした。
誰よりも踊れるなつめさんでしたが、稽古場では下級生の面倒もよく見て下さいました。
「ダンスの花組」。そんなキャッチフレーズが生まれましたが、それは大浦みずきさんが築いたからです。
歌も素晴らしかった。
なつめさんが花組にいらして私が初めて思ったことは「なんて大きく口を開けて大きな声で歌う方なんだろう…」でした。キレイに歌うことより、心の底から歌う…。『テンダーグリーン』の「心の翼」が名曲となったのも、なつめさんゆえのことでしょう。
何かのショーの稽古の時。踊るとしんどくて歌えない生徒たちに振付家の先生が「なつめをご覧なさい!誰よりも激しく踊っても、誰よりもしっかり歌っているわよ!」と。
体中で踊り、体中で歌う方でした。
そしてリズム感が凄い。
『ショー・アップ・ショー』の「Route 66」など、あそこまで歌いこなせる人はそうはいないでしょう。
芝居は言うまでもなし。
大浦みずきさんの男役は、本当にカッコよかった…。
トレンチコートが似合いました。燕尾服もタキシードも軍服もタートルのニットも。
稽古場でよく履いていらした水色のジャージも……大好きでした。