<主な舞台歴>
1990年 4月『ベルサイユのばら』フェルゼンで新公初主役
1992年 4月『この恋は雲の涯まで』新公で源義経
1992年10月『忠臣蔵』新公で大石内蔵助
1993年 1月『セ・ラムール』ジャンでバウ初主演
1995年 5月『JFK』フーバー長官
1995年12月『香港夜想曲』ハワード
1996年 2月『エリザベート』ルドルフ
1998年10月『凍てついた明日』クライド・バロウ
1999年 3月『ノバ・ボサ・ノバ』オーロ
2000年 6月『凱旋門』ボリス
2001年 1月『花の業平』藤原基経
2001年 8月『ベルサイユのばら 2001』アンドレ・グランディエ
2001年11月『花の業平』在原業平
2002年 4月『プラハの春』堀江亮介
本公演、バウホール公演以外でも、1989年にニューヨーク公演、1994年にロンドン公演、2002年にはトップとして第2回中国公演に出演。
また2001年には外部の作品『天翔ける風に』(三条 英役)にて主演しました。
「男役10年」――“立派な男役になるには10年かかる”という言葉があります。男役としての声の出し方、踊り方、立ち居振舞い……。「タータンには、この言葉、通用しないな…」彼女がわずか研1の時に、私はそう感じました。
男役にまず必要な“男役として見せること”と、演技力、歌唱力、ダンスの実力。下級生のうちから、すべてをあんなに持ち合わせている生徒を、私は他に知りません。
飛び抜けて実力のある人です。そこに、多くの役を演じるうちに養われてきた感性、色気、存在感、また衣装の着こなしや舞台化粧の上達により「やがて宝塚を代表するトップスター」と、早くから注目され、活躍してきました。
“宝塚の男役”という形を決して崩さず正統派でもありながら、それでいて“リアリティー”を演じ続けた人。役に生きる役者。心の奥深くを表現した人。大掛かりなセットも派手なコスチュームも、彼女には必要なかったかもしれません。
『凍てついた明日』のクライドも、『プラハの春』の堀江亮介も、『ガラスの風景』のジョーイ・バクスターも、香寿たつきでなければ誕生しなかった役だと思います。