≪INDEX≫
1: 親と教師、責任転嫁の構造/全力で学びから逃走する子どもたち・・・P1
2: 「その勉強に、なんの意味があるんですか」/徹底的に金銭可視化される教育・・・P2
親と教師、責任転嫁の構造。かやの外の子どもたち
勉強って本当に意味がある? そんな問いにどう答えますか? |
「噂には聞いていたけれど、これが現実なのか」と授業参観で呆然とした、という声はあちこちで聞かれます。「学級崩壊」という言葉が浸透してしまい、小さい子どもを持っている保護者が、「あの学校は先生が頼りなくて学級崩壊するんだって……」などと話しているのを聞いたりすることがあります。しかし、学級崩壊の理由を教師の指導力不足だけに求めるには、その「崩壊」件数があまりにも多いことに疑問を感じます。
親は、学級が崩壊するのは「教師の授業がつまらないからだ」「教師の人望が低いからだ」「教師が厳しく指導できないからだ」と教師を責めます。一方で教師は、「家庭の教育力が下がっているのだ」「保護者からのクレーム処理だけで仕事が手一杯になる」、そして「今の子どもたちはどこかおかしい」と訴えます。議論が平行線をたどるのに危機感を持った学校と保護者が、お互いに歩み寄って改革をしていこうとする例もありますが、まだまだ責任をなすりつけ合う風潮が強いのが現実です。
周囲の大人たちが「学級崩壊」だ、「学力低下」だ、果ては「美しい国の教育」だ、「国家の品格」だとガシャガシャと言い争う中で、子どもたちはそれでも授業中、あらぬ方向を向いてしゃべっています。なぜでしょう?本来、子どもとは音や動きのあるものに興味を持ったり、何か自分のアンテナにピピッと来るような言葉に反応したり、どこか好奇心が旺盛なはずです。何かの拍子にふと授業を聞き出し、中には夢中になってしまう生徒がいても、いいのではないでしょうか?
全力で学びから逃走する子どもたち
授業の間中ずっと「授業を無視する」のには、むしろ逆の意味で集中力が必要です。この点について、神戸女学院大学文学部教授の内田樹(うちだ・たつる)氏は、近著『下流志向』の中で「彼らは全力を尽くして『学び』に抵抗しているのではないか」
と、鋭く指摘しています。
授業を放棄し、服装も言葉遣いも乱れ、何もかもが一見「無秩序」に見える中高生たち。しかし、彼らをよく観察すると、「彼らは『無為』の定型を律儀に守り抜こうと」し、わざわざそう見えるようにいろいろな無作法(口調や表情、態度、制服の崩し方など)を、雑誌やテレビから「熱心に学習し、それを模倣し、より『無為』に見えるように様々な改善を加えることさえ」しているのではないかと、内田氏は述べています。
全力で学びから逃走する子どもたち。それは、「無為」ではなくてむしろ「勤勉」なのだと。なぜそこまでして、学びから逃げようと努力するのか。彼らにそうさせる圧力とは、何なのでしょうか。