何をしようと子どもの自由?

「困っている人がいたら手を差し伸べる」。そんな言葉さえ虚しくなるほどマナーの形骸化が進んでいる
ここ20年ほど、公共の場で子どもたちが傍若無人の振る舞いをしても、「子どもが好きなようにやったらいいんです」と自由をかざして注意しない親がいる、と指摘されて久しいようです。

20年前といえば、日本が豊かさを存分に謳歌した時代。子どもたちはたくさんの情報に囲まれ、いっぱいのモノを与えられ、その一方でひたすら受験をくぐり抜け、そして大人になりました。その大人たちが、子どもを育てる世代になりました。それに続く世代もまた、豊かなモノと情報とに囲まれ、少子化のなかで「存在の希少性」から来るメリット(もちろんデメリットも大きいのですが)を享受して育っています。

以前「電車で子どもは立つべき?世界のマナー事情」という記事を書き、読者の電車内での経験談を募ったところ、驚くような数の投稿が寄せられました。その中には驚くような子どもの話、親の話、そして「他人は電車の中でほかをどう見ているのか」がつづられ、連日続々と寄せられる体験談の投稿に、日本人のマナーの現状はここまで崩れているのか、そして「電車の中というのは、ある意味、なんて恐ろしい場所なんだろう」と強い印象を受けました。

他人が何をしようと、本当に「自由」なのでしょうか? なぜ、こういう大人と子どもが増えたのでしょう? 子どもには、何をどう教えればいいのでしょうか?

許される限界を教えるためのしつけ

子どもには、重要な発達段階があります。それが2歳ごろに始まる「第1次反抗期」で、万能感覚(自分は大人と同じようにできるという感覚)を持ち、何でも自分でやりたがり、思い通りにならなければ「イヤイヤ」とかんしゃくを起こします。どの子どももみんなこの時期を経験し、育つのです。発達心理学では、この時期の子どもは"testing limits"、つまり「親(=自分が許される限界)をテストしている」と考えます。自分の体がどこまで動くのか、その機能を理解する1歳半ごろから次は自分を取り巻く社会で許される限界を理解するのです。

例えば、コンセントに鍵を入れてもいいのか、食べものを落としたりテーブルに塗って遊んだりしてもいいのか、人を叩いてもいいのかどうか。もし親が笑顔で誉めてくれれば「これはやってもいいことだ」、怖い顔で叱れば「これはしてはいけないことだ」と学習する、しつけの非常に重要な時期です。

しかし、ここを親が「子どもなんだから自由にやらせたい」と逃してしまうと、子どもは許される限界を知らない、いわゆる「オレ様」子どもになってしまいます。児童・少年問題の専門家たちは、「きちんと叱られてこなかった子ども、限界を教えられなかった子どもは、社会適応で問題を起こすことが多い」と口をそろえます。いじめ、不登校、ひきこもりなど、昨今のマスメディアをにぎわす少年問題の根は、親と子、そして社会との適応の摩擦に根があるのです。


>> 社会と折り合いをつけてこその「自由」