食事制限で戦いの日々が始まる
血液検査は生後3ヶ月の赤ちゃんには負担だろうということで、「6ヶ月になってから詳しい検査をし、また対応を考えましょう」ということに。しかし、それからが戦争のような1年です。単純に「牛乳と卵を使わないで」と言われても、改めていかにその2食品が食生活に深く関わっているのかを痛感することになります。お菓子はもちろん、パン、洋食など、とにかく「洋」なものには何らかの形で入っているのです。その日からしばらくは、朝起きると「あー、一日が始まる……。今日は何を食べよう……」と頭を抱えて一日の始まりを憂える日々でした。気持ちに余裕がないことも関係するのでしょうか。とにかく食べるものが思いつかない。
そんな私を心配して、実家の母がすぐに宅急便を送ってきてくれました。入っていた中身は「魚の煮物、野菜の煮しめ」、そして上の子どものために「卵を使わないハンバーグ」など、何品かの手作りお惣菜です。当たり前のようですが、「そうか、和食か!」のヒントを得ました。本で見るより、実物メニューの力は大きいもの。本当に参考になり、今後の食事の方向性を見たような思いがしました。それとともに、母の気遣いもうれしかったですね……。
後悔すべき妊婦生活
そもそも私に多少のアレルギーの気があったので、1人目の子どものときは知人のアレルギー専門医師のアドバイスも受け、なるべく乳製品を取らないようにしていました。しかし、2人目を妊娠したときは、まだ1歳過ぎたばかりの子どもを抱えての妊婦生活だったので、そこまで気を使うことができず、妊婦時代から先生に牛乳を禁止される授乳期まで、ほとんど毎日のように牛乳をたっぷり入れたカフェオレを飲んでました! 毎日!!!この子が牛乳アレルギーだとしたら、そんな体に受け付けないものを私の体を通して毎日自分の体に入ってきていたとしたら……。生まれたときのあの悪臭も、体全体から毒を排出していたのだろうかと思います。
「妊娠中や授乳期に原因が分からないのに勝手に除去食はすべきではない」と言われれることが多いようですが、私に関してはそれに当てはまらなかったのではないかと思います。悔やんでも悔やみきれないと……。
和食の生活に
それからは、ひたすら野菜と魚を中心とした和食の日々。テンプラなどは作らなくなりましたが、炒め物やサラダで使うものは、すべてオリーブオイル、グレープシードオイル、またにシソ油などに変えました。お店で加工食品を買うときには必ず裏面の食品表示をチェックするようになります。何もないときの「卵」頼みや、簡単な洋食レシピが使えないので、相変わらずメニュー作りは大変。上の子どもには、もしかしたらあまり面白みのない食事だったかもしれません。おまけに私の大好物のアイスクリームが食べられない! アイスクリームもケーキもチョコレートも、洋菓子は一切口にできなかったのです。
しかし、今までどんなに決意したダイエットも長続きしなかったのですが、子どものためになら我慢できるのが不思議。でも、どうしもストイックな食事なので甘いものが食べたくなります。
そんなとき先生から、「ストレスをためすぎずに」とのアドバイスを受けていたため、そこだけは自分でもゆるめて、小豆はダメなのですがあんこ系のお菓子はOKにしました。私のおやつは、お饅頭にかりんとう、ふかし芋、フルーツ。昭和初期のおやつが我が家の定番おやつになりました。
必然的に上の子どももそうなるので、「和菓子屋に行こうか!」が一番の楽しみになっていきます。いま考えると住まいが京都だったこともあり、和菓子の種類が豊富で、季節感もあって、ケーキより安くて結構楽しめたと思います。
(実録アレルギー体験談「見えてきた光」に続く)
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