これは1926年のポスター。英語であることがいままで紹介したものと違う。ライバルのダンロップの本拠地、イギリスに工場が作られることをアピールするポスターだ。ミシュランがフランス以外に最初に生産施設を持ったのは1906年のイタリアで、翌年にはアメリカにも工場を建設。イギリスは3番目の海外生産拠点だった。
第2次世界大戦後も、ビバンダムは基本的にそれまでと同じスタイルだが、目は大きくなって、さらに優しい表情になったことがわかる。これは1955年のニューモデルの宣伝ポスター。静かさをアピールしていることが、ビバンダムのポーズだけでもわかる。
ビバンダムの生みの親はアンドレ・ミシュランとオ・ギャロだが、その後は多くのデザイナーの手で描かれた。でもミシュランは表情や体格を厳密に規定することはせず、デザイナーに自由を与えた。だからときどき個性的なビバンダムが登場する。これはフランスを代表するポスター作家、レイモン・サヴィニャックが1966年に描いた、ミシュラン初の左右非対称タイヤXASのもの。世にもめずらしい黒ビバンダムだ。
ミシュランのすべて・4に続く
ミシュランのすべて・1
ミシュランのすべて・2
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