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今年限りで生産が終了するNSXの今後に迫る ホンダNSXの未来 PART3(2ページ目)

僕はこの仕事を始めて12年が経つ。この間に試乗したクルマの数は実に数千台に達するが、そんな中で僕の心に染み渡り、これぞ愛すべき存在…と思えた国産のスポーツカーは3台のみ。そのうちの1台がNSXだ。

執筆者:河口 まなぶ

次期V10はNSXの後継といえるのか?

いまや高根沢はなくなり、現行NSXの生産終了に伴って、職人は残るだろうが技を使う場はなくなるだろう。同時に、現行NSXのストーリーを編み続けてきた人たちの存在も気になる。もちろん誰もがホンダの次期フラッグシップには好意的だろうが、それも結局は開発途中で姿が形作られていくクルマ次第となる。そう考えるとそれを送り出す作り手には、当然カリスマ性も求められてしかるべきである。またこれは同時にエンスージアストであることも当然のように求められる。

NSXの祭典であるフェスタやオーナーズミーティングは今後も継続されるし、リフレッシュプランも未だ長い行列を作っている。そういう意味ではソフト面でのフォローは間違いなく可能だとは思うが…。

もちろん僕はV10の後継車には全く否定的ではない。ただそれが現在のNSXという世界を後継するものなのか否か…と考えると、必ずしも同じ道は歩みにくい、といいたいだけである。もっとも次こそは、商業的な部分での折り合いを付ける必要などもあるだろうから余計に困難だろうし、当然完全なるプロダクト・アウトというわけにもいかないかもしれない。

しかも一番違うのは時代背景である。NSXが生まれたのは90年。開発を考えるとその前進は実に80年代前半にまでさかのぼる。この時代背景は絶対に手に入れることのできないものだ。当時経済的な背景が良かったというのももちろんNSX成立の要素としては考えられるが、僕がそれ以上に重要だと思っているのは、当時は時代が若かったからこその好奇心や探求心に溢れていたという事実だ。

NSXの開発の詳細は知らないが、明白なのは当時クルマ作りにおいて日本の自動車メーカーが考えていたことは極めてピュアだったのではないかと思える。いまほど情報網が発達していない環境の中においては、まさに百聞は一見にしかずであっただろうし、一見を体験した人の中には強烈な想いが生まれたことだろう。また世界の自動車メーカーとの「差」に関しても、当然現在よりは開いていただろうから、日本の自動車メーカーのエンジニアたちの情熱も今より深いものだったように思える。

事実フェラーリやポルシェに並ぶようなものを…という発想は、現在ではなかなか口をついてこないことでもあろう。だが当時は純粋にそういう風に思えただろうし、それを実行することに対しても想いひとつで立ち向かえた…そんな気がするのだ。

事実我々の生活でみても、80年代はまだ海外旅行に行く人も今ほど多くはなく、当然のように携帯電話やインターネットもなかった。そして街中では現在のようにイタリア料理やその他の国の料理屋が、掃いて捨てるほどある…という状況でもなかった。そんな中にあって我々は、本当にピュアにミーハーになれたと思う。時代が若かったからこそ、そうした行為は恥ずかしくもなかったし、むしろ流行を追い求めること自体がトレンドだったともいえなくない。

関連サイト
NSXの未来PART1はコチラ
NSXの未来PART2はコチラ
NSXの未来PART4はコチラ
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