モータースポーツ/SUPER GTについて

NSXがSUPER GTから勇退(2ページ目)

NSXがついにレースからも引退する。SUPER GTを今シーズン限りで引退する名車「NSX」の活動の歴史を振り返りつつ、その記録を紹介。さらにメモリアルイベント、今後の車両についても予想する。

辻野 ヒロシ

執筆者:辻野 ヒロシ

モータースポーツガイド

予選で際立ったNSXの速さ!

GT選手権のGT500クラスにおけるホンダNSXは初年度の97年は2台の参戦に留まったが、翌98年からは4台体制、そして現在は5台体制でレースを戦っている。
2007年の開幕戦、鈴鹿のスタート
【写真提供:本田技研工業】
引退レースを前にして、97年以来の出場回数は105回。優勝は36回と勝率は約35%であるが、ポールポジション獲得回数は49回もあり、その確率はおよそ半分という驚異的な記録を残している。

最終戦の舞台、ツインリンクもてぎはホンダのサーキットであるし、まさにNSXが鍛えられた場所であるだけに、重量ハンデ無しのガチンコ勝負となる最終戦は50回目のポールポジションを狙ってくるだろう。

伊藤大輔が魅せた鈴鹿のスーパーラップ!

NSXの予選アタックで最も衝撃的なシーンといえば、GTファンの誰もが2007年の「SUPER GT」開幕戦を思い出すだろう。GT500クラスの開発競争が激化し、コーナリングスピードが凄まじい勢いで上昇したのが2007年、GT500クラスのマシンはすでに市販車からは大きくかけ離れた純正レーシングカー化し、その動きはまさにフォーミュラカー然としたものであり、スピードはかつての「グループCカー」「F3000フォーミュラカー」をも超越するものにまで進化した。

そんなGTが最も「過激化」した2007年の開幕戦、鈴鹿。童夢のメンテナンスによるワークス体制でレースに挑んだ「ARTA NSX」の伊藤大輔がスーパーラップ予選でついに1分50秒台の壁を破り、1分49秒842というタイムをたたき出した。全くマシンが暴れることもなく、最小限のステアリング修正で実現したスーパーランは国内レースファンだけでなく関係者にも大きなインパクトを与えた。
2007年、伊藤大輔がドライブしたARTA NSX
【写真提供:本田技研工業】
前年の2006年よりも3秒も速かった信じられないスピードアップは、SUPER GTのワークスマシンがツーリングカーの域を完全に抜けだしたことを証明するものであった。それと同時にそのスピードがかなり危険な領域に入ってきたことも皆が知ることになる。何といっても、GTマシンは車重がフォーミュラカーの倍近くの重量級レーシングカーである。ブレーキトラブルやサスペンションの破損、タイヤのバーストなどでコントロール不能の状態に陥れば、それはそれは恐ろしいことになっていたかもしれない。
2009年のNSXは空力パーツの制限もありスッキリとシンプルなデザインに。
【写真提供:本田技研工業】
「ARTA NSX」が記録した驚異的なスピードは、技術者たちの喜び、ファンの興奮を勝ち取ったと同時に、速すぎるスピードに対する警鐘も鳴らした。現在の「SUPER GT」マシンは車体の底にスキッドブロックが入れられ車高が上がり、空力パーツの制限やエアリストリクター径の縮小により、2007年よりもスピードダウンがなされている。そのため、今後も伊藤大輔が鈴鹿で記録した「1分49秒842」というタイムは破られることはないだろう。

記録にも記憶にも残るスーパーラップ。
常にNSXと共に語られる伝説である。
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