保護者に求められる「不正解から学ぶ」ということ
全国屈指の東大合格者数を誇る灘校。生徒だけでなく、保護者から学ぶこともたくさんある
ちなみに、東大合格実績で有名な開成は、2010年の大学入試では東大への現役合格者数は111名と灘校を上回っていますが、開成の卒業生が400名であったことを考えると、灘校の現役合格率が際立っていることがわかるでしょう。
テストには正解・不正解があり、不正解から学ぶことも大切な勉強ですが、保護者が不正解した事実を認められない場合があります。学校教育でもそうですが、子どもが失敗したとき、それを受け入れてあげる保護者がいれば、子どもは伸びていきます。
塾ではなく家庭で養うべきことがある
家庭の教育力にはいろいろなものがありますが、「我慢強さ」と「人の話を聞く力」は、家庭の中で培われるべきものでしょう。また、読書や音楽鑑賞などは「身体化された文化力」と呼ばれており、例えば、普段の生活の中でクラシック音楽を聴いている子どもは、他の場所でもクラシック音楽を抵抗なく受け入れられます。読書の基礎があれば、学校や塾で使う教材にも抵抗なく入っていけます。親が読書する習慣を持つ家庭に育った子どもには、その力が自然と備わっていきます。
「閉じた努力」と「開かれた努力」の違い
子どもの生活も昔と比べると随分と忙しくなっていて、多くのことをこなすために、努力することよりも効率よく教わることにポイントを置いてしまいがちです。しかしそれでは、ひとつのことをきっちりと仕上げる、悩んで解決するといった訓練はなされません。努力なしには結局、何事も身につかないのが現実なのです。勉強には「閉じた努力」「開かれた努力」の2つがあります。「閉じた努力」とは、最後は自分の力で頑張るといった『ガリ勉型』ともいえるタイプの努力で、これに対して「開かれた努力」とは、『負けず嫌い』『社会のため、人のため』といったような、他者との関係で発揮されるタイプの努力のことです。
「開かれた努力」が近年強調されていますが、本来勉強には「閉じた努力」も不可欠です。集中する、ひたすら頑張るといった閉じた努力をいかに身につけるか。子どもたちの好奇心が、その源泉となります。
好奇心こそ学びの源泉
子どもにとって、知ることによって世界が広がるということは、非常に楽しい経験です。その楽しさを発展させることも教育なのです。本来、子どもは好奇心旺盛ですが、周りの大人が邪魔をすることで子どもが臆病になり、積極的に動くことをやめてしまいます。しかし、好奇心はすべての学びの基礎。基礎だから見えないし、形にはなりません。けれども、その好奇心は中学1年くらいまでにしか育ちません。好奇心は毎日の生活の中で養われるものであり、小さい頃から家庭の中で育まれるものなのです。