やまむろ けんじ
鰻専門のフリーライター、鰻好きな鰻オタク
東京下町生まれ。鰻専門のフリーライター、鰻好きな鰻オタク。2000年頃より鰻屋さん探訪を始め、2010年にうなぎ専門サイト「うなぎのぼり」を開始、2020年より「うなぎ愛好会ブログ」として鰻の魅力を発信中。現在の鰻屋さんレポート掲載数500件超。テレビ・ラジオなどメディア出演経験もあり。
お洒落空間な和空間でいただく鰻料理 鰻菜詩GINZA
【閉店】2012年6月銀座にオープンした養鰻場直営、鰻中心の和食割烹「鰻菜詩」。ガラス張りのオープンキッチンを囲むカウンター席、照明が落とされた店内はなんともお洒落空間な和空間だ。鰻料理をはじめ和食メニューやワインの取り揃えも豊富。接待や女子会、記念日など様々なシチュエーションに対応してくれるお店だ。
川魚問屋直営店でスタミナ補給 まんまる池袋店
蒸し暑い夏にはどうも食欲が落ちる、そんな時は鰻だ。鰻には、ビタミンA,B1,B2,D,EやDHA,EPAなどの栄養素が豊富で疲労回復や滋養強壮に効くと言われている。楽しく飲んで食べてスタミナ補給をしたいところだ。今回ご紹介する店は、1897年(明治30年)創業の鯉や鰻を扱う川魚問屋「鯉平」の直営店で、1999年(平成11年)に開店している。
老舗「鰻はし本」のランチうな丼と鰻の切手!?
今回はAll About「散歩」ガイドの増田剛己さんと、「切手収集」ガイドの板橋祐己さんが切手散歩をするということで、散歩好きな私もご一緒させていただいた。散歩の途中で鰻の切手と出会い、老舗の鰻屋さんのトロッと上品なランチうな丼と出会う。鰻を食べに行こうと、お店の下調べをしてから行くのも良いが、たまにはフラッっと立ち寄る鰻屋さんもよいものだ。散歩は出会いと発見があるから面白いのかもしれない。
斎藤茂吉が愛した渋谷道玄坂 花菱
アララギ派を代表する歌人斎藤茂吉は、鰻好きとしても知られている。斎藤茂吉の日記から鰻を食べた回数を調べている文献があり、それによると902回となるそうだ。昭和初期の創業の渋谷道玄坂花菱、斎藤茂吉が贔屓にしていたと言われ歌にまで詠んでいる。斎藤茂吉が愛したといううな重とはどんなものだったのか想像しながらいただく、ボリューム感とコクのバランスのよいうな重。
オペラ鑑賞の前に、うな重はいかがでしょう?赤垣
京王線の初台駅、新国立劇場やオペラシティーへ観劇に行かれる方には馴染みの駅だろう。いつもは新国立劇場直結の北口で出るところ南口で出ると、また違った初台の顔がある。どこか懐かしい商店街の中に、昭和レトロなうなぎ屋赤垣がある。観劇の前にトロっと柔らかい、うな重はいかがでしょうか?
関東風と関西風。焼き方を選んで楽しい「稲毛屋」
西日暮里、不忍通りに面した昭和2年創業の稲毛屋さん。カウンター上には地酒中心の一升瓶が種類豊富にずらりと並ぶ。定期的に日本酒の会を催しているところからもこだわりが伺える。蒲焼では蒸の入った柔らかい関東風と蒸さずに焼くプリッとした食感の関西風を選べるのも楽しみのひとつだ。
渡辺淳一原作の小説「化身」の舞台になった喜代川
1874年(明治7年)創業の日本橋小網町の喜代川。ビルの谷間の細い路地にたたずむ木造の日本家屋は築80年だそうだ。渡辺淳一原作の小説「化身」の舞台にもなっており、二階の座敷部屋のひとつ三畳間には、ヒロインの名にちなんで「霧子の間」と呼ばれているのだそうだ。店主は五代目となり、日本伝統の味を守り今に伝えている。
文久元年(1861年)幕末創業の浅草の老舗うなぎ屋 色川
文久元年(1861年)創業、浅草らしい提灯屋や酒屋、江戸友禅の店がある路地裏の老舗うなぎ店。開店前から並ぶ人気店、遠方からのお客さんも多いようだ。カウンター越しに店主の無駄のない動きを見ながらホクッと柔らかいバランスの良いうな重の出来上がりを楽しみにする。
ほんわかやさしいバランスのうな丼 安斎
都内の人気店のひとつ荻窪のうなぎ安斎。シンプルなメニューにシックでシンプル店内。フワッとトロッとした身とタレ、ご飯のバランスが絶妙なうな丼。程よいボリューム感のあるあっさり系のうな丼をほんわか落ち着く雰囲気でいただく。
浜松の老舗うなぎ料理店あつみ
浜松での鰻の養殖は1891年(明治24年)に原田仙右衛門が新居町で行ったのが始まりと言われている。その後1900年(明治33年)には深川で養鰻を試みた服部倉次郎が浜松舞阪で養殖を始め、高度成長期には最盛期を迎え、うなぎと言えば浜松を築き上げた。
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