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23区東[台東・墨田・江東・葛飾・江戸川・足立・荒川]
足立区・荒川区・江戸川区・葛飾区・江東区・墨田区・台東区にあるおすすめの街、気になる街の住みやすさを詳しく解説します。
記事一覧
【三ノ輪】下町っぽさ全開の商店街とバラが名物
ガイド記事中川 寛子台東区、荒川区が入り混じるエリア東京メトロ日比谷線三ノ輪駅を出た辺りから昭和通り、交差する明治通りを見たところ(クリックで拡大)東京メトロ日比谷線三ノ輪駅、少し離れて都電荒川線三ノ輪橋駅がある辺りは台東区と荒川区の区境に当たるエリア。そのため、日比谷線の三ノ輪駅は台東区にあるものの、荒川線三ノ輪橋駅...続きを読む
日暮里・舎人ライナー、当初予測以上に発展、変貌中
ガイド記事中川 寛子足立区西部を直線で約10キロ、交通空白地帯を埋める路線日暮里駅を出るとすぐにカーブして尾久橋通りの上に出て、そのままほぼまっすぐ走る(クリックで拡大)日暮里・舎人(とねり)ライナーはJR山手線・京浜東北線・常磐快速線と京成線が走る日暮里が始発・終着駅。そこから尾久橋通りの上をほぼまっすぐに約10キロ...続きを読む
新小岩、商店街が続く葛飾区、南の玄関口
ガイド記事中川 寛子東京駅から総武線で10分余、商店街が元気な街新小岩駅南口。低層でコンパクトな駅だが、乗降客数は多い(クリックで拡大)東京駅から総武線で10分ちょっと。荒川、中川を渡ったところにあるのが新小岩(葛飾区)。元々の地名はお隣駅、平井とつながる上平井町、平井中町と小松菜の由来である上小松町、下小松町でしたが...続きを読む
蔵前、変化を続ける東京東側エリアの中心地
ガイド記事中川 寛子江戸時代の俗称が地名に、町工場と住宅が入り混じる風景に変化稲穂をイメージ、黄色く塗られた蔵前橋のたもとに立つ碑。この地にはかつて蔵前国技館もあった。現在は東京都の下水道施設に(クリックで拡大)隅田川沿い、浅草の南側にある蔵前は江戸時代に徳川幕府の御米蔵(浅草御蔵)があったことがこの地の俗称となり、や...続きを読む
町屋、再開発後賑わう荒川区の中心商業地区
ガイド記事中川 寛子昭和末期から平成にかけて再開発実施、街の風景は大きく変わった写真右手に東京メトロ千代田線、中央に京成線、左に都電荒川線が見える。右手は再開発で生まれた飲食店ビル(クリックで拡大)町屋は東西に細長い荒川区のちょうど中央に位置し、京成線、東京メトロ千代田線、都電荒川線(都電の駅名は町屋駅前停留所)が交差...続きを読む
田原町、問屋街と住宅街が隣接する静かな街
ガイド記事中川 寛子仏具店が並ぶ通りとかっぱ橋道具街、個性的な商店街がある街、田原町世の中には様々な専門店街があるが、仏具中心でこれだけの数が集まっているのは珍しいそうだ(クリックで拡大)浅草の隣り、東京メトロ銀座線の営業キロ数にして800mほどの距離にある田原町は浅草通りの南側に並ぶ仏具店と、浅草通りに直行するかっぱ...続きを読む
船堀、タワーと金魚と親水公園のある住宅街
ガイド記事中川 寛子船堀の2大名物は駅前のタワーに駅舎にも描かれた金魚近くに行くと全体が撮影できないため、少し離れて。突き立ったような形状が印象的で街のあちこちから見える(クリックで拡大)船堀といえば、まず思い出すのが江戸川区内唯一の映画館も入った複合施設タワーホール船堀でしょう。平成11年3月にオープンしたこの建物内...続きを読む
入谷、風情ある街並みが残る、穴場な住宅街
ガイド記事中川 寛子江戸時代には風雅な別荘地、朝顔で全国的に有名に複数の路線、幹線道路が使えるほか、首都高速1号上野線の入谷出入口も近く、足回りは便利な場所(クリックで拡大)徳川家康入府の頃、隅田川西側のかつて浅草区、下谷区と呼ばれていた地域には千束池と呼ばれる巨大な沼地がありました。現在の台東区千束の辺りを中心に、深...続きを読む
スカイツリー効果?首都圏東側で再開発続々
ガイド記事中川 寛子木密解消なども含め、街が変わる、東京の重心が再び東側に戻ってくる?古い街では土地の権利関係が複雑でもあり、空き家になっても取り壊すに取り壊せない状況もあり、問題を複雑化している(クリックで拡大)首都圏の東側、いわゆる下町エリアには、路地に古い木造住宅が密集、防災上危険とされる地域も少なくありません。...続きを読む
本所吾妻橋、東京スカイツリーお膝元の街
ガイド記事中川 寛子江戸時代に生まれた碁盤の目状、伝統と人情の残る街主な商業施設は浅草通り沿いにあり、観光案内所なども設けられている浅草、押上という2つの話題の街の間に挟まれた本所吾妻橋。駅周辺の街は江戸時代に周辺を縦横に流れる横十間川や北十間川、竪川などを掘削した土で埋め立てられてできており、当時から現在のように碁盤...続きを読む