テクノポップ
YMO関連 (3ページ目)
日本を代表するテクノポップYMOを解説しています。
記事一覧
-
YMOの遺伝子~第4回
amazon.co.jpにあるCDは、ジャケ写からリンクできます。(amazon.co.jpにない場合、海外のamazonや他の通販サイトへ)1981年3月21日にリリースされたアルバム『BGM』は、オリコン・チャート2位まで行っていますが、セールス的には大幅にダウン。ブリティッシュ・ニューウ...続きを読む
-
YMOの遺伝子~第3回
amazon.co.jpにあるCDは、ジャケ写からリンクできます。(amazon.co.jpにない場合、海外のamazonや他の通販サイトへ)1980年2月21日、YMOブームが巻き起こる中『PUBLIC PRESSURE(公的抑圧)』は、リリースされます。ライヴ・アルバムがオリコン初登場1位...続きを読む
-
YMOの遺伝子~第2回
amazon.co.jpにあるCDは、ジャケ写からリンクできます。(amazon.co.jpにない場合、海外のamazonや他の通販サイトへ)デビュー・アルバムから10ヵ月後の1979年9月25日、オリコン・チャート1位に輝き、レコード大賞アルバム賞もとったセカンド・アルバム『SOILD ST...続きを読む
-
教授のトークイヴェントに行きました
amazon.co.jpにあるCDは、ジャケ写からリンクできます。(amazon.co.jpにない場合、海外のamazonや他の通販サイトへ)「教授」「世界のSAKAMOTO」「あほあほマン」として知られる坂本龍一特集します。あほあほマンのはいていたパンツがヤフオクに出たら、いったいどのくらい...続きを読む
-
YMOの遺伝子~第1回
仮タイトルは、「YMOとカバ」(明らかに『YMOのカバ』のマネ)でしたが、ちょっと格調を持たせました。YMOというといろんな所で書き尽くされた感もあるので、行き着いたのが、カヴァーと共に辿るYMOの凄さというテーマです。結成25周年、散開20周年、再生10周年記念かどうか知りませんが、YMOの...続きを読む
-
YMO周辺のオキナワン
沖縄出身以外のミュージシャンによっても、オキナワンポップは実践されています。その代表と言えば、細野晴臣と久保田麻琴(現Harry & Mac)でしょう。細野晴臣をプロデューサーに迎えた久保田麻琴(裸のラリーズの元ベーシスト)と夕焼け楽団は『ハワイアン・チャンプルー』(1975年)でオキナワン、...続きを読む
-
桑原茂一さんインタヴュー~Part 5 ピテカンからクラブキング
桑原茂一さんインタヴュー~Part 4『死ぬのは嫌だ、恐い。戦争反対!』からの続き。――僕自身が、当時東京に居た訳でないので実体験がないんですけど、時代的に先取りしていたと言える「ピテカントロプス」(写真は、スネークマン・ショーのアルバム『ピテカントロプスの逆襲』)に関して、どういうヴィジョン...続きを読む
-
桑原茂一さんインタヴュー~Part 4 死ぬのは嫌だ、恐い。戦争反対!
桑原茂一さんインタヴュー~Part 3『ホテル・ニュー越谷』からの続き。――スネークマン・ショーは、海外からも引き合いはあったのでしょうか? 『showa/64』という海外向けのコンピレーションに、スネークマン・ショーが収録されていますよね。そういうの、全然知らないですね。――(えっ!)色々な...続きを読む
-
桑原茂一さんインタヴュー~Part 3 ホテル・ニュー越谷
桑原茂一さんインタヴュー~Part 2『ピストルズを呼べ! そしてYMO』からの続き。――ギャグをレコード化するというのは、本来、予定もしてなかった事なんですか?なんにも考えていなかったですね。――レコード化するにあったて、ギャグってレコードみたいに10回、20回と聴いてもいけるもんだんろうか...続きを読む
-
桑原茂一さんインタヴュー~Part 2 ピストルズを呼べ! そしてYMO
桑原茂一さんインタヴュー~Part 1『ウルフマン・ジャックに憧れて』からの続き。――最初のスネークマン・ショーは、アメリカ的な背景があるんですけど、ラジオではなくて『増殖』から入ったリスナーにとって、スネークマン・ショーは、どちらかと言えば、アメリカというよりもイギリスというか、パンクの後の...続きを読む