温浴自体の価値の捉え方
洞窟が源泉の仙仁温泉 |
つまり、好みの湯温で気持ちが良いというのは、温泉の評価ではなく、単なる風呂としての側面の評価に過ぎない可能性を感じます。その辺り、郡司さんはどのように捉えられていますでしょうか?
<郡司> 温泉に入浴するということは、お湯に入るわけです。これは温泉に限らず、水道水でも同様の温熱効果によって、心地よく感じるものです。しかし温泉に入浴するとその色、味、匂い、体感などが感知できて、白湯とは違って、温泉の個性を感じることが出来るのが素晴らしい点です。これこそ温泉に来たなあと感じる、至福の時となります。この微細な感触を感じ取って温泉を楽しむと、温泉の良さが分かります。
湯の温度に対しては熱い湯が良い泉質もあれば、ヌル湯が良い泉質もあります。硫黄泉などは匂い立つような熱めの湯が適していると感じます。また仄かな香りの湯はヌル目の湯が個性を良く感知できて適しています。また療養目的であれば、熱い湯は短時間しか入浴出来ないので、ヌル湯が適しているとも言えます。しかし個人的には、ヌル目の湯にゆっくりと入浴するのが好きです。
洞窟の一番奥が湧出地点 |
源泉の温度がなく加熱する場合と、高温すぎて加水するのは、両方とも温泉のマイナス要因なので、適温の湯が大量に使われているのが一番ベターです。掛け流しの温泉こそが、その条件を満たしているので、もっとも温泉を楽しむのに適していると思います。
<藤田> なるほど。温度も温泉の湯の個性の一つであり、泉質という個性とのマッチングまで考慮して評価されているのですね。また、極力源泉温度に近い温度での利用が望ましく、温泉を楽しむ為にその条件を追い求めて行くと、自然と掛け流しの温泉に行き着くということですね。
私は自分自身の経験上、単に暖かい湯に浸かることの満足度は非常に大きいと思っています。温泉を評価したつもりでも、その評価のかなりの割合が、温泉自体ではなく、温浴自体の評価になっている可能性も感じます。もちろん温泉には本来、そうした側面もあるのは事実であり、それはそのまま受け入れざるを得ないでしょう。
しかし、好みの温度が、満足度に占める割合が大きいと認めるからこそ、その暖かさの原因、由来を意識したいと思っています。たとえば、本当は冷たい鉱泉なのに、熱く湧かしていたとします。そこに、熱い湯が好きな人が浸かって満足したとしても、それは湧かして熱くなっているので、温泉としての評価という気になれません。もちろん、源泉も熱ければ何の問題もないのですが。逆に本当は熱い源泉なのに、大量に加水されて温くなっている湯に、温湯好きな人が浸かって満足しても、その評価の半分は、大量の水に対するもののような気がします。
入浴施設である以上、適温に調整された湯が多くなるのは仕方ないですが、極力、源泉に近い温度の湯船を作って欲しいと思います。もちろん、源泉が熱湯の場合は、危険が無い程度に加水するか熱交換する必要はあるでしょうが、冷鉱泉の場合は、そのままの水風呂が欲しいといつも思います。
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